事に当たって、自分がどんなスタンスで
臨んでいるかがわかるというのは、
大事なことだと思います。
何とな~く、できたらいいな~程度なのか、
何年かかっても絶対にやり遂げる!と
決意しているのか、
口ではやるぞ!と勇ましいけれど、
肚の底では大してやる気もないどころか、
実はやりたくないと思っているとか。
それぞれのケースをイメージしてみると、
心と体の感覚が全然違うと思います。
やる気のない時は力も出ないし、
もわんとした定まらない感じが
あるでしょう。
逆に、不退転の決意で臨んでいる時は、
体の底から力が湧き出て、ピタッと
照準が定まっている感じがあると思います。
本当にやると決めているのかそうでないのか、
自分で感じてわかるようでないと、
やっているつもりで、いつまでも
全然前に進まない状態になります。
一生懸命やっているふりをして、
一体誰を欺いているのでしょうね。
サロンにも日々色々な方が見えますが、
成果はその方自身の在り様に
明確な相関があります。
今日は絶対この壁を越えたいんです!
力を貸してください!と凛々しい決意で
臨まれ、宣言以上の成果を手にして
帰られる方。
おっかなびっくり、恐いけれど、
でも瞬間瞬間、自分のできる
精一杯の力を振り絞って逃げずに向き合い、
昨日の自分よりも着実に前に進むことの
できた自分で誇らしく帰っていかれる方。
時間ギリギリまで逃げに逃げて逃げまくり、
けれども最後の最後で、こんな自分じゃ嫌だ!
と覚悟を決めることができて、長年の壁を
越えて行かれる方。
一方で、最後まで決めきれずに
時間一杯、どうにか逃げ切った~!
と帰っていかれる方も、なくはないですね。
そういう方は、がっかりもあるのでしょうが、
どこか奥の方で、ホッとしている自分が
いるのではないでしょうか。
現状維持で守り切っても、
あの重苦しい日常に戻るだけ。
本当に変わりたいのだと望んでいるなら、
それでもそれを選ぶメリットがまだ自分にある、
ということを自覚する必要はあるように思います。
逃げている人は、
自分が望んでいると思っていることと、
実際に自分がやっていることが
違っているのだという自覚が
なかなか持てない傾向があります。
深いところでわかっているのかもしれませんが、
認識したくない、わかってしまうのは
都合が悪いということなのでしょう。
こういうことを丁寧に説明しても、
頭ではわかるけれど、腑に落ちない
という方が多いです。
本当に自分を知り、変えていくことを
拒否している状態だと、
あとはもう、その状態を嫌でも
続けることができなくなるような、
何か大きな出来事が起こるとかでないと、
その選択は変わらないでしょう。
こういう方たちをこれまで
そこそこの人数見てきましたが、
その後、どうされていらっしゃるか。
お元気でお過ごしだと良いな、
とたまに思い出すことがあります。
人生はご本人の選択なので、
外野がとやかく言うことではないですし、
言うつもりもありませんが、
本当にそれが魂の望みだろうか、というと、
その方にやってきているお知らせの
頻度や質などから、やっぱり魂の望みに
逆行している在り方なのだろうな、
と思います。
そのような在り方は、
やはりとても生き辛くはあるでしょう。
人生に逆行してギューッとブレーキを踏み、
突っ張っているが故の苦しさなのだけれど、
本当は素直に導きを受け取り、
応答していけば良いだけなんですけれどね。
自分自身との格闘をいつ止めることが出来るか。
自分の人生を他人事にしている内は、
なかなかに難しいですね。