私の中には、
内なる神への深い信頼が
あるのですが、
一方で、
どこか自分の望みは叶わない
という諦めというか、絶望感が
同時に存在しています。
もちろん、
望みが叶ったことが
全くなかったわけでもなく、
思いもせず、叶ってしまったことも
たくさんあるのですが、
どういうわけか、この絶望感は
しばしば心の奥底から湧き上がってきて、
何とも虚しい感覚になることが
あるのです。
これが浮上してくると、
どうせ願っても叶わないんだろう、と
反射的にその望み自体を無かったことに
してしまって、
そのことがまた、
自分にはそれを得る資格すらないのだ
という絶望感を深めていきます。
もう随分長いこと
これを繰り返しているので、
今回はこれを掘り下げていく
ことにしました。
どうせ言っても叶えてはもらえない
というがっかりした気持ちと、悲しみ。
問答無用で却下される壁のような反応に、
なすすべもなくただ受け入れるしかない
無力感。
とても苦しくて辛いのに、
助けてはくれないどころか、
そこに置き去りにされる絶望感と混乱、
そして閉塞感。
そんな感覚が、
幼少期の記憶とともに
湧き上がってきました。
あぁ、まだ私の中では、
あの子供時代は終わっていなかったのだな、
と思いました。
随分色々なインナーチャイルドに
向き合ってきたけれど、
部分的にこうして残っているものが
まだお迎えに来てもらってないよ~!
って感じにカケラ君が訴えてきますね。
じっとその不安感や辛さに寄り添い、
受け止めていると、その瞬間から
壁の様に拒絶していた両親が、
私を優しく迎えに来てくれる
ビジョンに変化していきました。
安心して、泣きそうにもなってる
子供時代の自分。
すごく心細かったんですね。
その心細さはよく覚えていて、
大人になってかなりワークを頑張った今では
かなり薄くはなっていましたが、
日常の中で、何かの拍子に不意に
浮上することが稀にですが、ありました。
でも、このワークでそれも
なくなりそうです。
多分、もう大丈夫じゃないかな。
人からされることは、
自分が自分自身にもしていること
という鏡の法則の世界観が
感情解放ワークにはあるのですが、
自分のニーズに頑として応えず、
無視するあの壁のような態度は、
まさに私が自分自身にしている
態度でもありました。
子供の頃は、大人の事情で
両親は私には構ってくれないのだと
悲しく思っていましたが、
自分が、頭の都合で
私自身のニーズを軽く考えて
取り合わなかったんですね。
本当はそんなに軽いものではなかったのに、
それが認識できていなかったのです。
自分が自身に取っている態度によって、
私にとって辛い現実を作ってしまっていましたが、
これからはもっと優しい世界になりそうです。
改めて、私の望みは叶うだろうか?
と感じてみると、遠慮がちに、心の中で
願いを言うことはできるようになっていました。
でもまだ親の顔色を窺う子供のような感じで、
自分の願いを取り上げてもらうのが当然
という感じではなく、
どこか自分なんかに構ってもらうのが
申し訳ない、という感覚でした。
この感覚も、
私の日常の中ではすごく馴染み深くて、
あ、できなかったらいいんですよ~、
お手を煩わせてしまってホント、すみません!
って感覚があるんですね。
これも掘り下げていくと、
子供の頃に自分が親に負担をかけているのが
悲しくてし仕方がないという感覚に
繋がっていて、
そこに触れた瞬間に、
覚えず、涙がボロボロこぼれてきて
しばらく嗚咽していました。
自分では自覚はなかったですが、
余程悲しかったんですね。
しばらくそうやって解放したら
その悲しみも落ち着いてきました。
そして改めて、
自分の望みは叶えられるだろうか?
と感じてみると、その願いは
受け取ってもらえるような感覚に
なりました。
ただ、ちゃんと対応はしてくれている
ようではあるけれど、結果はどうかな?
というのがまだあったので、
これもさらにワークして統合してみたら、
良い感じになってきました。
自分が本当に何を望んでいるのか、
きちんとコミュニケーションをして
詰めておくことが大事だったようです。
これで随分、自分や世界への信頼感が
深まった気がします。
さてさて、これでしばらく
様子を見てみることとしましょう。