自分が辛い思いをしている時、
誰にも気づいてもらえないとか、
わかっていても誰も助けてくれない、
対処してもらえないという時、
辛さはさらに増し、絶望感が深くなる。
私がこんなにも大変な状況なのに、
どうして周りは見て見ぬふりをして
笑っていられるの?
などと、怒りが込み上げてきたり。
そんな経験をしたことがないでしょうか?
私自身、感情解放ワークに取り組んで、
自分の感情とこの世界の仕組みを知るまで、
そんな怒りと絶望感を嫌というほど
抱えながら生きてきました。
けれど、それもこれも、
自分自身の鏡だったのだということを
知った時、あぁそうか。確かに私は、
あの人たちのような態度を
自分大して取っていたな、と
ハッキリわかりました。
彼らのように私は自分に無関心で、
自身に対する責任感がなく、
行動もせず、人のせいにばかりして
肝心なところで逃げていました。
何とも不甲斐ない限りです。
彼らへの怒りと絶望感は、
すなわち、そっくりそのまま
自分自身への怒りと絶望感でした。
その気づきにたどり着くまで、
人間というのはこれほどまでに
人に冷酷に、残酷になれるのもなのかと
思ったものですが、
その冷酷さ、残酷さに
全く気付くことなく平気でできる、
居られる自分であったということが
本当に驚きでした。
気づかないことで、
私たちは、他人ばかりではなく、
誰よりも、自分自身を一番
傷つけているのだと思います。
だからこそ、幸せに生きたいのなら、
自分自身を大切にすること、
自分と戦わずに和解すること、
良い関係を築くことが必須だと
繰り返しお伝えをするのです。
自分の生きる世界を平和にするのも、
呪われた世界にするのも、
自分次第なのです。
感情解放のセッションをしていると、
しばしば自分を呪い、世界を呪っている
ケースに出合いますが、
決して珍しいことではなく、
とてもよく見かけます。
そういう呪いはてき面に効果を発揮し、
その人の生きる世界は呪われた世界になり、
その人生は呪われた人生になります。
ご本人に実際に確認すると、
確かにその通りになっている、と
100%の方がそう答えられますね。
何と恐ろしいことかと思いますが、
けれども希望がないわけではありません。
自分でかけた呪いなら、
自分で解くことが出来ます。
つまり、自分自身と和解し、
世界と和解すれば良いわけです。
ただこれも、
口先だけで解きます、
と唱えれば良いわけではなく、
呪うほどにこじれた苦しみ、
心の痛みをきちんと統合していくことが
必須です。
自分が、明後日の方向を見たまま、
利益だけ得たいから口先だけの
内実の伴っていない言葉を発したとて、
何の意味があるでしょう。
それでは、和解したことになりませんよね。
幸せは欲しいけれど、
自分は許したくないし、
仲良くもなりたくない、なんて、
そんなことは不可能です。
人生を生きて行くのはこの自分なのですから。
どんな自分であれ、
この自分から離れないこと、
この自分とともに生きて行く、
と心が定まったところから、
何かが変わっていきます。
それまで、
フラフラ落ち着かなかったものが、
ストン!と落ちて定まり、
力が戻ってくるのです。
セッションでもこういう変化の瞬間を
何度も見てきていますが、
そういう変化は、外から見ていても
わかります。
肉体に、しっかり「実」が入ったな、
と感じるんですね。
人生が苦しい時は、
そういう自分や人生から逃げるのではなく、
その自分を見捨てないで、現場(自分の人生)
に留まってきちんと対処することが肝要です。
多くの場合、現場を放棄して
意識がどこかに彷徨ってしまうんですよね。
だから、そういう現実に対して無力で
適切に対処できなくなっているのです。
まずは、何よりも自分自身の心の声に
ちゃんと気付いてあげること。
そして、状況に適切に応答すること。
これができるだけで、
どれだけ世界が自分にとって
やさしいものになるか。
多くの方に知っていただきたいことです。