よく、ハートの声を聞くって言いますね。
私も良く使う表現ではあるのですが、
セッションしてると、
ハートの声と欲からの声の区別が
ついていない人が結構
いらっしゃるんですよね。
私から見ると、
それは明らかに欲からの声なんだけどな、
と認識される声を、
ハッキリと確信を持って、
これは私のハートの声です、
と答えられる方があるのです。
確かに、これが欲しい!という声が
ハートの声なのか欲の声なのか、
欲しいというのは事実だし、
きっとこれこそがハートの声なのだ!
と認識したとしても、無理からぬこと
ではあると思います。
けれども、両者は明確に
違うところから来るサインなので、
その違いさえ認識できれば、
それらは全く別ものであるということは
容易にわかるでしょう。
要は、そもそもその定義自体を
曖昧な概念でしか知らない
というところが問題なだけ
なんだと思います。
ここでちょっとだけ念押ししておきたいのは、
欲の声がいけないとか悪だとか言っている
わけではありません。
ただ、両者を混同し、取り違えた経験から
ハートの声を信用できない、と
ブロックしているケースも非常に多いので、
ここが識別できないと、
本当に正しい内なる導きにつながることを
自ら拒否してしまうことにもなりかねません。
内なるハートの声を聞いて従ったはずなのに、
結果的に手痛い失敗をしたとか、
大変な目に遭ったとかいうときに、
その声は本当にハートの声だったのか?
というところを、もう一度振り返って
精査してみる必要があります。
ハートの声というのは本当のところ、
どんなものなのか?
どのように聞き、判断すれば良いのでしょうか?
まずは、欲の声とハートの声の違いを
押さえていきましょう。
第一に、両者は湧き上がってくるところが
違うので、意識を澄ませる場所が
違います。
ハートの声はハートに意識を向けて、
じっと受け身で聞く感じです。
非常に繊細なので、
心を澄ませて聞くわけですが、
このときに、心がニュートラルでないと
正しい答えが取れません。
しばしば、
先入観や、そうであってほしい願望などが
ハートの声を曇らせて判断を誤らせる
ということが起こりますが、
ハートの声は容易にそうした
特定の心の引力で歪んでしまうんですね。
聞きたくない、知りたくない、
そう在ってほしくないという思いから
声がかき消されたり、
ハートの声を最初は聞いていたはずが、
途中からするっと欲の声にすり替わっているのに
本人も気づかないこともとてもよくあります。
反対に、欲の声はハートの声に比べると
ものすごく主張してきますよね。
必要以上に頭の中で繰り返し響くとか
理性を乗っ取るくらいに強い衝動が
あるとか。
こんな強くてわかりやすい声なら、
ハートの繊細な声など容易に
かき消されてしまうのも
さもありなん。
こういう声が常に心に響いていると、
これこそが自分の本当の声、本心で
導きなのだと思ってしまいますが、
強い信念の様な確信があるから
間違いない、というのは誤りです。
以前からたびたび書いていますが、
信念からの確信は、マインドの領域で
インスピレーションやハートの声とは
違います。
後者は、論理的にどうこうというのではなく、
間違いとか別の可能性とかの余地が
全くないということが理屈を越えて
ただわかる、という感じです。
欲の声は、湧き上がってくるところが
ハートの声よりも浅く、引っ張られる感じ、
荒い感じがします。
ハートの声はもっと深いところからやってきて、
心を静かに、ニュートラルにしたときに
捉えられます。
ハートの声に判断を仰ぐときは、
そのハートの静けさから、
そのものごとを感じたときに、
違和感や緊張感があるか、といった
微妙な変化を読み取ります。
たとえば、何かうまい話が来ているのだけれど
乗るべきかどうかなど、欲の声は
このチャンスを逃したら損をする!と
盛んに煽ってくるかもしれませんが、
一方のハートの声では、
違和感、嫌な感じがしている、
といった具合に感じられたりします。
ハートの声はそうして警告を発しているのに、
欲の声、頭の理屈でその警告を握りつぶして
自らドツボにはまるなんてことは
よく見られるパターンです。
ハートの声を聞いても、
それに適切に応答できないということも
ままあることですが、その辺も
経験かな、という気はします。
いずれにせよ、
心を静め、ニュートラルにして
ハートの声を聞くということを
日頃から実践していると、
ここぞというときに
危機から救われる、ということも
あるでしょう。
ぜひ、正しくハートの声が取れるよう、
実践なさってみてください。