やる気がない時に、
だら~んとしていることを
どれだけ無条件に自分に許せるか。
ここしばらく、
そんな挑戦をしておりました。笑
自分の居る世界がシフトしたせいなのか
肉体的な変化から来るものなのか、
ここしばらく、自分の感覚が定まらず、
何か変だったんですよね。
急に自分の居る世界や自分の体の感覚が
変わってしまって、あらら、これは一体???
と言う感じでした。
空や現実の質感が
以前とは何か違う感じがして、
空に浮かぶ雲って、こんな低かったっけ?
とか、光の射し加減が違うとか、
違和感満載でした。
それまで、現実の質感は
コロナ前の数年の間でも
どんどん変化はしていましたが、
自分と言う感覚は保てていました。
ところが今回は、
自分と言う感覚が変質したまま戻らない。
何が原因なのか、色々探ってみても
今一つ分からなくて、
ただやる気だけが異様に出ないまま
2か月くらい過ごしていました。
その間もお仕事は精一杯やらせていただいて、
リーディングやヒーリングの力自体が
失われているという感覚はなかったので、
その間だけは自分を取り戻している
ような感じはありました。
けれど、それ以外はどうにもこうにも
感覚が戻らず、あがこうという
気力すらも出ないので、
まぁそんなこともあるさ、と
ひたすら、日々必要最小限をこなすに
留めていました。
この状態がずっと続いたらどうしようとか、
そろそろやる気出さねば、とか
思ったりもしましたが、
頑として気力は戻らず、
頭の中心が冬眠モードに入ったかの
ようでした。
いつまで続くんだろうな~、
数か月だったらいいけど、
数年だったらどうかな、とか
やはり色々考えてしまいましたが、
こういうとき、肝っ玉の据わった人なら
何年でも自分を信じて時を過ごすことが
できるのでしょうけれど、私はやはり
小心者でしたね。笑
自分は今、一体どの世界にいるのか、
と世界線シフトの話を聞くたび思うのですが、
どの世界に居ようと自分が在るべき場所にいて
在るべき姿でいる最高最善の今しかないのだな
と思うしかありません。
こういう時に、
自分がいかに自分の在るべき理想像と言うのに
固執しているか、と言うのを思い知りますね。
そこには、それまで生きてきた世界固有の
価値観から来る固定観念や恐れの感情が
べったり貼り付いていて、
そこから離れるのは相当に大変なこと
なのだと感じます。
世界が変わっても、
自分が変わっても、
それを体験している自分
と言う意識は常に在り続けます。
その自分と言う意識が
何を体験していようが、
良い悪いというジャッジメントなく、
差し出されたものをひたすら
受け取っていこうと思いました。
それにしても、
もし今あるサイキックな力が
失われたとしたら、
自分がこの世界で生きている
価値があるだろうか?なんてことも
考えたりもしました。
ヒーリング以外、取り立てて
取柄もないですしね~(^^;
別に力が失われたとしても、
生きてて息をすることが許されるのなら
居られるだけ生きようとは思いますが、
改めて、自分がこの世界にいること
について、考える機会にもなりました。
何かができるから、
この世界にいることが許されている
のではない、という、存在が在る
ということの奥深さと、愛
と言って良いようなものを
感じたりもします。
本来存在と言うのは、
ただ在るだけで、満たされるように
できているものなのかもしれないな、
と思います。
あれができない、これができない、
と散々もがいて生きてきていますが、
近頃はやる気のなさから来る、
あらゆることに興味が持てなくなっている
感覚が影響してか、何だかそれもこれも、
どうでもよくなってしまいました。
より良く生きることも、
どうでも良いというか、
決して投げやりなわけではなく、
今このままで何が悪いのだろう?
と言う感覚です。
そこにジャッジメントが無ければ、
何も問題はないのですよね。
この状態は、ある意味、
しつこく貼りついている
固定観念やジャッジメントから離れる
良い機会なのかもしれません。
今日はちょっと以前の感覚が
戻ってきつつある感じなので、
このままいくのかどうかわかりませんが、
現状を振り返ってみました。