世の中、様々な親子関係がありますよね。
サロンでも、色々なケースのご相談を
お受けするのですが、
私自身は子育てはおろか、結婚も
出産もしたことがないので、
エラそうなことは言えません。
けれど、感情解放ワークの視点から見ると、
絡み合い、もつれた感情の糸を解いていく
道筋が見えてくることがあるので、
そういう視点からセッションさせて
いただいています。
世の子育てをされている(されてきた)
全ての親御さんたちのご苦労を伺うと、
本当に色々と悩み抜き、苦悩し、
もがいていらっしゃるのだな、
と感じて、
どうかその行き詰まりに見える景色に、
可能性の扉を見つけ、それを開いて行く
力を汲み上げていけますように、
と祈らずにはいられません。
お子さんに何か問題が起こるとき、
それは、お子さん一人の問題
なのではなく、家族全体の在り方に
起因しているケースが多いように思います。
もちろん、
本当に様々なケースがあるので
一概には言えませんが、
表に現れている「問題」と見える事象が
無くなれば良いのだというスタンスからの
その部分に対する直接的な働きかけだけでは
どうにもならないことがあるんですよね。
たとえば、お子さんが不登校になった時、
お子さんが学校に行きさえすれば良いのか
ということがあると思います。
お子さんがなぜ学校に行けなくなったのか、
学校で何かあったのかもしれないし、
そもそもお子さん自身の心身の特質からくる
ものなのかもしれません。
あるいは、家庭内の家族関係の中で、
溜まりに溜まったものが、お子さんにとって
耐え難いほどに限界に来てしまった
というケースもあったりします。
そういうときに、周囲の大人たちが
どんな風に対応していくのかというのが
ものすごく大事で、
お子さん本人が変わることよりも、
実際は周囲の大人たちの意識改革の方が
ずっと大事、ということがあるんですね。
つまり、お子さんに起こった問題事象は、
それにかかわる全て人たちの在り方への
警鐘なのです。
その問題さえ起らなければ、
向き合うどころか気づくことすらなかった
自分自身の在り方を知り、変えていく
学びの始まりでもあります。
それ故に、その問題をどこまで
周囲が自分のこととして当事者意識を持って
向き合えるかがカギになります。
ところが、問題なのはお子さんではなく
自分なのだ、ということを認められない
親御さんがいらっしゃるんですよね。
そこを認めてしまうと、
自分がやって来たことを否定することになり、
非難されるように感じて、どうしても
それはできない。だから子供さえ変われば良い
と、一生懸命お子さんに働きかける
という風になったりします。
本当は、自分が大きく成長し、
飛躍していくための学びが
差し出されているのに、
それを受け取るかどうかの選択が
あるわけです。
もちろん、
受け取らないで逃げる選択もあるし、
本当に苦しいけれど、肚を据えて
魂の糧とするも自由です。
このとき、
自分がどの立場にいるにせよ、
逃げる人のことを責めることはできません。
なぜなら、逃げているその人も、
自分自身の鏡だからです。
学びの重さに圧倒され、責任転嫁し、
自分の力を信じることなく、
ただただ逃げるのみのそのズルさ、
弱さ、醜悪さと同じものが
自分の中にあるんですね。
だからその時に自分がすべきは、
鏡に映ったその像と同じ、
自分の中にあるものを認め、
昇華させていくしかありません。
本当に自分が覚悟を決めて
それができたとき、
その人の生きる世界は自ずから
変容していくでしょう。
誰が変わってくれない、と嘆くよりも、
まずは自分が変わらないといけません。
そこから、家族の再生が始まります。
どちらか一方が悪いのではなく、
共に手を携えて行く道なんですね。
ここをクリアできると、
地獄と思われた世界は、
本当に愛と感謝に満ちた
温かな世界に変わります。
もちろん、それは簡単ではないし、
一朝一夕にできることではありません。
けれど、逃げずに自分が取り組むほどに、
喜びのご褒美が一歩一歩にやってきます。
それは、逃げていた時には味わえない
深い感動とともに在るプロセスなのです。
さて、今差し出されたギフトを、
袖にするか、謹んで受け取るか、
どちらを選ぶでしょうか?