まだまだ開かずの扉の奥を探索中
なのですが、昨日自分の中から出てきた
餓鬼をさて、どうしたものかと思って
お地蔵様に助けていただいたりしたのですが、
通常だと、外側に貪っている状態を
内側の、自分自身の力の源につなぎ直す
というのがワークでは定石なのです。
自分の中に餓鬼が居るということは、
自分の力にちゃんとつながれていない
ということを意味しています。
そう思って振り返ってみれば、
完全に不信を抱いているとか
背を向けているわけではないけれど、
あるレベル以上では、
どこか自分に失望しているところが
あるな、と以前から感じていました。
つまり、不信があるわけです。
長いこと放置してきましたが、
ここら辺でしっかり取り組んでおかないと
いけませんね。
ここまで一連のワークで出てきた
キーワードをまとめて見ると、
餓鬼(エーテルコード、貪り)
魂の燃え尽き症候群
生きることの辛さ、
これ以外に、途中で出てきた
ある封印に関してはまだ書いてないのですが、
これも、後ろ2つに多分関係している
だろうな、と感じます。
その封印というのが、燃え尽き症候群を
掘り下げていた時に出てきたもので、
自分の力を振り絞って全身全霊で
何かをして、文字通り、身も心も魂も
燃え尽きてしまった感覚がありました。
それと同時か、また別のストーリーなのか、
自分が命を捧げたものに冷たく決別をして、
自ら崩壊に導く操作をしている場面も
出てきました。
自分がかつて守ろうとしたものも、
自分自身の力も、自ら壊し、封印したのです。
その時私は、刀を置いたのだ、
と思いました。
刀というのが何かの象徴なのか
実際の刀なのかはっきりしないのですが、
二度と手に取るまい、と思って
柄に血と汗がしみ込んだ、朱塗りの鞘の
自分の分身の様なそれを置いた感覚は
あるのですね。
以前、ヒプノで戦いに明け暮れた
武将の人生が出てきたことがあるので、
まぁ、近いものがあるのかもしれませんね。
余談ですが、10年以上前にあちこちの
美術館に行きまくっていた時代が
あるのですが、
主に東洋美術系の美術品が好きで、
器とか茶道具とか書、水墨画の
質の良いコレクションの企画があれば
良く足を運んでいました。
けれど、同じ館で茶道具の企画展を見ても、
その隣でやっている刀剣コレクションは
その空間に入ること自体がどうしても
できなかったりして、
刀剣の美しさは素晴らしいと思うけれど、
それらは自分にとって、美術品以上の
何か意味がありひっかかりがあるようで、
さっさとスルーして帰ってくるということが
ありました。
別に今生、刀を手に取る必要性なんて
これっぽっちもないので、
不便があろうはずもないのですが、
何か、決別をしたものと自ら封じた力は、
もっと良い形で決着をつけ直す
必要があるようにも思いました。
ただ、五寸釘を何十本も打ち込んだみたいな
ものすごく強い決意で切り捨て、封じたもの
なので、今もハートがズキズキ痛いですね。
これが、根深く残る自己不信や神への不信
と繋がっている気もします。
かつて、魂を込めて磨き抜いてきた力を今生、
使う必要があるのかどうかは別として、
自分でつけた悲しい決着の、別の可能性を
探ってみることが、今ならできるかもしれない、
とも思います。
この辺り、近づこうとすると途端に
意識が散漫になって、うまく考えが
まとまらなかったのですが、
断片的なパズルのピースをどうにか
こうして書き留めることで、
輪郭をつないで見るべきポイントを
定めている感じです。
自分を燃焼し尽くすような生き方も
カッコイイと思う一方、
今生では仕事しすぎて体を壊したりした
経験があるので、頑張りすぎない
というか、そもそも踏ん張りがきかない
という物理的なセーブがかかります。
だから、あるところに極端に負荷のかかる
意識の使い方もできないのですが、
この辺りもこの統合が出来たら、
もう少しできることが広がってくる
のかもしれません。
開かずの扉の奥の探求は、
遅々として進まないというべきか、
じりじりと迫っているというべきか、
かつての自分の決断と良く対話しながら
根気よく進めて行こうと思います。