ヒーリングをしていると、
頭では感情を解放したい、
手放したい、ハートを開きたい
と本人は思っているのに、
がっちりと握りしめて閉ざしている
というケース、結構あります。
そうしたいと思っているのに、
どうしてできないんだろう!?
とそこで自分と戦ってしまう
というのもよくあることなのですが、
手放さないこと、開かないことで
得ているメリットがある内は、
頭でどれだけアクセルを噴かそうと、
なかなか難しいでしょう。
そういうところを緩めていく
テクニックやエネルギーも
あるにはあるのですが、
私のセッションに限らず、
それらをどれだけ駆使しても、
変化がない、という方も、
一定数おられるのは確かです。
これは、ヒーリングには随分前から
常に提示されてきた課題ではありますが、
その度に、より強力なエネルギーや
テクニックが開発されてきました。
そうしたもので、解消される
ケースもあるのでしょうが、
いつの時代も、ヒーリング難民というのは
消えることがないな、というのが
個人的な印象です。
実は、私自身もヒーリングが効きにくい質で、
何となく効いた気もする、ということも
あるのですが、根本的な課題というのは、
やはり自分自身に地道に向き合っていくのが
確実かな、という気はします。
自分でつかみ取ったものは、
消えることがありませんし、
それが血肉となって、
それ以後の自分を支えてくれるので、
自分でも訳が分からない内に
何だか楽になっていた、
というのとは、大分質感の違う
確かな感覚はあります。
もちろん、どういうやり方でも、
生きることが楽になって、
希望を持てるようになるのなら、
それはそれで正解でしょう。
ブレイクスルーするきっかけを作る
ヒーリングテクニックや人などに
出合えるということ自体、
きっとその人が歩んでこられた
徳分の賜物でしょう。
そのタイミングで出合うというのも、
必然なのでしょうね。
そうしたものに出合える人もいるし、
出合えない人もいる。
出合ったと思っても、
他の人には効いているのに、自分には
結局効かなかったというケースもある。
そういうケースを自分を含め、
たくさん見てきて、
やっぱり自分でつかむべきものは
自分でやらなければならないし、
通るべきところは、避けることが
できないのだと思うのです。
そこには、神というか魂の配剤
のようなものが働いているのでしょう。
結局、ツールはツールでしかないので、
自分の人生に対する主体意識は
ツールを活用するうえでも必須です。
ツールにやってもらうのではなく、
如何にツールを活用できるのか、
という意識ですね。
随分昔ですが、
レナード・ジェイコブソンの
個人セッションを受ける機会が
1度だけあって、
当時は色々悩んでいたので
これだけ深いプレゼンスを体現した
仏陀のような人にセッションしてもらえる
ということに、すごく期待と希望を
持っていました。
けれども結果は惨敗で、
がっちり固まってにっちもさっちも
行かなかったということがありました。
その時は、これだけのすごいマスターに
セッションしてもらっても私はダメなのか
とひどくがっかりしたのですが、
圧倒的に自分の準備ができていなかった
のですね。
このことは、ヒーラーとしても
様々な示唆を与えてくれたのですが、
結局は自分の在り方であり、
ヒーリングのテクニックでどうこうできる
領域もあれば、そうでない領域も
厳然としてあるのだと思いました。
テクニックでどうにもならない部分を
どうクリアしていくのか。
それが、その出来事以来、
ずっと私のテーマになりました。
そうして、
その人自身の在り方に焦点を当てていく
という、現在の私のヒーリングスタイルが
生まれました。
だから、私の感情解放ワークは
単に一時期やれば苦しさが和らいでいく
だけのものではなく、生涯を通して
自分を見つめ続けていく在り方そのもの
なんですよ、とお伝えしているのですが、
そういう私の真意を汲んで
日々自分に向き合うことを実践
し続けてくださっている
クライアントさんたちも育っていて、
本当に頼もしく、嬉しく、
感謝の気持ちでいっぱいです。
自分の後ろ姿を見せて
影響を与えられる人になるというのは、
並大抵のことではありません。
クライアントさんたちの後ろ姿を見て、
影響を受けた方たちが近頃、何人も
サロンの門をたたいてくださっていて、
有難いことだなぁとしみじみ思います。
自分の後ろ姿というのは、
どんな背中なんだろうな、と思いつつ、
今日もコツコツ地味~に
一歩を刻んで参ります。笑