人間社会に生きていると、
何かと忙しいですね。
物理的にやることが多いと言う他に、
あれこれ考えることに、とても忙しい。
明日の予定、今月の目標、未来の計画、
老後の心配、過去の後悔、などなど。
人間社会にどっぷり浸ってしまうと
そういう生き方を死ぬまでするのが
当たり前みたいになってしまうけれど、
そんな生き方をしているのは
この地球上で、人間だけなのかも
しれません。
特に現代社会というのは、
宇宙のリズムから分離した
非常に特異なプログラムに基づいて
構成された時空間で、
そこに生きていると、
私たちは宇宙のリズムの中で、
それと一体となって生きている感覚が
持てないので、とても不安定で
心身共に非常にストレスを抱えながら
過ごすことになります。
本来は、宇宙のリズムの中で
命を育む見えない力に抱かれ、支えられて
在るのが私たちの存在なので、
そんなにも不安で、孤独で、
あらゆることを抱え込みながら
右往左往しながら生きるようなことは
無いはずなのです。
みな、そのリズムによって、
自分が在るべき時に、
在るべき場所で、
在るべきことを為すように、
自分の深いところで知る感覚が
あるんですね。
そのように生きるが故に、
全ての存在の中に、尊さを感じ、
畏敬の念を抱き、感謝を捧げながら
与えられ、お返しつつ、循環していたのです。
そして、その循環の環そのものが、
私たちの存在を支える力でもありました。
現代社会では、その感覚が
欠如しているというか、非常に薄いので、
私たちは自身の存在をとても心許なく、
不安定に感じるのでしょう。
日本古来の文化というのは、
こうした宇宙と私たちの存在との
循環をとても大切に意識していた
洗練された文化だろうと思います。
これこそ、今流行りの
サステナブルな何とかなのだと思いますが、
そんなこと言われる何千年も前から、
日本という国の文化はそうやって
受け継がれてきたものだと思います。
既に長い長い実績のある文化を持つ
私たちが、ちょっと前に流行りだした
取ってつけたような、矛盾だらけ、
下心だらけのスローガンに踊らされるのも
何だかおかしなものだな、と
個人的にはかなり斜に構えて見ています。
そんなものよりも、
連綿と受け継がれてきた私たちの文化の
根底に流れるものに改めて目を向け、
真摯に受け止めたときに、
今の時代に溢れかえる不条理、不自然、
欺瞞の数々を払拭するような
素晴らしい叡智がそこに在ることに
気づくのではないでしょうか。
日本のそうした文化の中に
連綿と受け継がれてきたものが、
今ものすごい勢いで消えていこうと
していますが、
私たちのDNAの中に刻まれたものは、
そう簡単に消えることはないと
信じています。
そして、たとえ失ったとしても、
いつの時代か、その叡智を復活させる
魂も現れてくるでしょう。
そうやって、かつて失われたものが
復興していった例は、数多くあります。
宇宙には、あらゆる叡智が刻まれた
記憶場のようなものがあって、
そこからある時空間フィールドに
現れたり、消えたりしているような
イメージが私にはあります。
だから、叡智自体が消えるわけじゃない。
私たちの文化の中には、
そういう叡智をこの時空間につなぎ留めておく
非常に高度に洗練されたプログラムが
あるような気がします。
その大元を統括しているのが、
天皇家かな、と私は思っているのですが、
だからこそ、日本というのは世界でも稀な、
特別な国で在り続けているのです。
日本が天皇家を戴く国で在るということの
意味を、私たちは見失って既に二世代は
経っているでしょうか。
まるで、記憶喪失のようになってしまった
この国で、この国の本質を今一度、
宇宙の叡智を体現し続ける在り様
という視点から、考えてみたいな、
と思ったのでした。
意図的に歪められ、混乱させられ、
何が何やら訳が分からなくなっている
歴史やら議論から見ていては、
この国の柱は見えてこないでしょう。
そうではなく、
もっと宇宙の本質的な叡智とか、
あらゆるものの中に命の尊厳を見る
私たちの感性とか、
先人たちが大切にしてきたものから、
私たちはこれから何を大事にし、
柱として国を建てていくのかを
考えても良いのではないかな、
と思いました。
そういう価値観を共有する国民が
建てる国が日本という国なのだと。
その精神が、この国の土を育み、
人を育て、国を豊かにするのです。
喫緊、問題は山積だけれども、
一人一人がそんな意識を持てたら、
この国は必ず復活すると信じています。