見たくない自分の側面に対峙しよう
とするとき、そのまま固まって、
にっちもさっちも行かなくなってしまう
と言う状態になる方、結構多いですね。
こういう状態を打開していくには、
心に留めておくべきことがあります。
見ようとしているのも自分だけれど、
固く閉ざしているのも自分だということ。
膠着状態になってしまう人の多くは、
見ようとしている自分の視点から、
どうにかして扉をこじ開けようと
戦ってしまっています。
でも、その自分は一方で、
絶対に開けられてなるものか!
と頑張っている自分でもあるのです。
何が言いたいのかと言うと、
扉を開けられたくない!と思っている
その自分の気持ちにも耳を傾けないと
いけないよねってことです。
これは何度もお伝えしていますが、
閉ざしているのにも、閉ざしているなりの
事情があるのです。
扉を開けようとしている自分は、
その事情を打ち明けられても、
大丈夫な姿勢ができているでしょうか?
頭で、
はい、できてます!
知りたいと思ってますから!
って答える人は多いですが、
もし本当にできているのなら、
とっくに扉は開いているはずなのです。
心に秘めたものがある存在に
胸の内を開いてもらうには、
あなた自身が何が出てきても
否定も拒絶もしないで真摯に受け止められる
状態ができている必要があります。
話したら否定される、拒絶されるとか、
そもそも聞く気がない、
恐くて腰が引けているとか、
自分の聞きたいことしか聞かない人に
大事な話など、しようとは思えないでしょう。
気持ちのカケラ君は、
あなたに胸の内を開きたがっていますが、
聞こえない、開かないのは、ひとえに、
自分自身が聞こうとしていないからなのです。
ここが本当に理解し、認められないと、
いつまでも自分を思い通りにしようとする
戦いに明け暮れ、結局自分のことを
知ることができないまま、
時間だけが経過して疲れ果てていきます。
私たちが自分自身のあらゆる側面を
本当に受け入れることができたなら、
心はいつでも、ゆるゆる緩んで
しなやかでいられるのでしょう。
けれど、ある側面をジャッジメントし、
拒絶した途端に緩んでいたものは硬直し、
あらゆるエネルギー循環が止まります。
心身の辛さ、痛みは、
その硬直した在り方から来るのです。
解放は、当時受け止めきれなかった
様々な氷漬けのようにして固めてきたものを
解凍して改めて受け止め、その時間を
生き直すことでもあります。
いかなる恐怖や絶望、孤独や悲しみ、怒り、
誰かを憎み、責めている思いすらも、
絡み合った感情の糸を解きながら、
自分自身に引き戻し、受け止めていきます。
ときにそのエネルギーは、
本当に体の底からマグマのようなものが
延々噴き上がってくるようなときも
あるかもしれません。
確かにそういうものを心身に通過
させていくのはキツイことですが、
そんなエネルギーを普段、押し殺して
平然と生きている方が、実は余程、
辛いはずではないでしょうか。
解放のプロセスは、
持っているエネルギーのチャージ量によって
ある程度時間がかかる方もありますが、
きちんとできていれば、やればやっただけ、
必ず軽くなっていくものです。
ヨガで言えば、体のエネルギーラインである
ナーディーがかなり浄化されます。
ひょっとしたら、呼吸法などを相当やり込んでも
届かないようなところの詰まりや汚れなども
多分浄化されていると思うのですよね。
その代わり、心身共にかなりハードですが、
時間的に早く済ませることをご希望の方には
お勧めです。
これだけは譲れないと思っていたもの、
絶対に受け入れられないと思っていたもの、
これなしでは生きていけない、
自分が無くなってしまうと思うようなものこそ
失い、それまでの自分が崩壊していくような
道だったりします。
言葉で聞くと、何だか恐ろしい
地獄のようですが、それらの支えだと
思っているものにしがみつくことで
成り立っているのが、
現状の生き辛い世界であることを
良く自覚しましょう。
それを支えにして生きているからこそ、
辛いのなら、それなしで健全に
立てる自分になることです。
自分の在り方が変わる。
生きている世界が変わる、というのは、
そういうことなんですよ。
そして、あなたには、
そういう風に生きる力があるのです。
あなたは決して無力ではありません。
存分に、自分の力を引き上げて、
健全に、自在に発揮して生きる道を選ぶのなら、
概念の掛け声だけではいけませんよ。
概念、信念、気合ではダメなのです。
どんな意識で居ればいいのか、
ご自身で探求なさってみてください。