ここのところ、暖かい日が続いて
桜が一気に咲き始めたな~と
思っていたら、花冷えの陽気。
寒いですねぇ。
でも、桜が長くもってくれたら
良いですけれどね。
去年は桜の開花がずいぶん遅くて、
桜祭りも肩透かしでした。
参加された業者さんも、
大変だったろうなと思いますが、
今年は例年通りに楽しめそうです。
我が家の近くの川堀には、
毎年クルーズ船が出て、
日中も夜桜も、両方楽しめるんですね。
乗り場がすごく近くなので、
毎年昼と夜に1回ずつ、
母と一緒に乗っていたものですが、
夜は隅田川の夜景も見られて
すごくきれいなのです。
去年は平日でしたが、ふと母が
店が終わったあとの夕暮れ時に、
川沿いに桜を見に行こうと言って、
二人でてくてく散歩に出かけました。
母は大分足が弱っていたので、
手を繋いで歩いていたのですが、
ゆっくりゆっくり、桜を眺めて
歩きました。
ほんの15分くらいの散歩でした。
私はもう少し歩きたかったけれど、
母はもういい、帰ると言って戻りました。
来年も、こうして散歩して、
船に乗せてあげようと思ってましたが、
結局それが二人で見た最後の桜
となってしまいましたね。
晩年は、体調を見ながら
出来る限りあちこち連れ出すように
していましたが、
ここに行こう、あそこに行こうと
誘うと、嫌とは言わず、割と
乗ってきてくれて、結構
楽しんでいたんじゃないかな
と思います。
後で、また明日、来年、と
私たちはつい、未来が当たり前に
やってくるのだと思っていますが、
後でも明日も来年も、
必ずしもあるとは限らないのですよね。
死期が近い人の言動って、
何か、いつもとは違う質感が
あります。
本人も、
わかっていることもあるだろうし、
無意識のときもあると思うのですが、
後で振り返ると、ずん、と
何か心に残る響きがあるのです。
そのときは、何気なく受け取って
気にもしていないのですが、
ふとした瞬間や、必要な時に
思い出されたりしますね。
そう言えば、
死期が近くなってからではないけれど、
何十年も前に言われた言葉を、
思い出すことがありました。
母は、仏壇について二つのことを
言い残していたのですが、
それを言われた当時、私は
その通りにしても良いものか、
迷いがありました。
だから、その時が来たら、
その時考えようと思ったのですが、
結局、よく考えた末、その二つのことは
母の言い残した通りにすることに
しました。
優柔不断で自分でものごとを決められない
ところも多かった母ですが、大事なところは
ちゃんと道をつけておいてくれたんだな、
と思います。
出会いと別れ、命の歩み、人生。
つくづく不思議なものだと思います。
大きな時代の流れの中で、
様々なレイヤーの無数の伏線が折り重なり、
今という私たちの人生が紡がれて行きます。
ネガティブ、ポジティブ、
軽やかな、重たい、些細な、濃密な関係性が
この人生に、どんな景色を描くでしょう。
ハートをえぐるような出来事も、
命の潮流の中に描き出された景色から見たら、
思うのとは全く違った意味が見えるかも
しれません。
何気なく受け取って、そのまま
記憶の彼方に沈んでいくものも
あるけれど、
隠された意図にどれだけ気付き、
宝を拾っていけるか。
いただいたご縁に差し出されたものを、
深く深く受け取っていこうと思います。