人生を振り返ってみて、
あの時辛かったな~という時代の
体験の感覚や感情が体に残っていて、
似たような状況になりそうになると、
かつてのその感覚や感情が蘇ってくる
ということがあります。
今、亡くなった母がやっていた
店の廃業処理をしているのですが、
私はまったくタッチしていなかったので、
わからないことがあり過ぎて
途方に暮れることがしばしばあります。
どこに何があるのかわからないところから、
急いで物を処分したこともあり、
一応大事そうなものは残しているつもりでも、
ひょっとして既に捨ててしまったかも?
と背中に嫌な汗をかくこともしばしば。
物がどこにあるのかわからない、
しかも必要な期日が迫っている、
同時進行で色々な物を処分して
できるだけ早く店と自宅の空間を
空けて整えないといけない、
銀行関係の処理、物品の処分手続きなど
面倒なタスクが複数進行していて、
そのうちのいくつかが滞っていて
どう処理したらいいのかわからない
というのがここ2カ月余りの状況です。
振り返ってみると、
よくここまで頑張ってやってきたな~
と自分でも思います。
感情解放ワークを実践していなかったら、
多分耐えられなかったんじゃないだろうか、
と思うくらい、そこそこ大変でした。
というか、まだ現在進行中なのですけれど、
まぁそれでもぼちぼちできることを
やり続けていられるのは、
有難いことです。
そんな中で、最近とみに感じるのは
わからな過ぎて途方に暮れる感覚、
プレッシャーで、
昔、新聞編集の仕事をしていた時代の、
ギリギリのあの感覚がうっすらと
蘇ってきたりしています。
その仕事を辞めて20年弱経っていて、
ワークでかなり取り組んできたので
相当薄くなってはいて、だからこそ
この程度で倒れずに済んでいるのですが、
当時はそのせいで神経的にも
肉体的にも限界を超えてしまい、
強制終了の引き金になりました。
今のこの状況の中で浮上する
気の重い感覚をじっと感じていくと、
ほぼ呼吸が止まり、動けなくなってくる
感じになります。
体のその感覚から離れずに、
命のエネルギーを呼吸していくことで
どうにか今できることの最低限を
実行に移すことができるように
なるのですが、
わからないことについて、
取り敢えずこうしてみたらいいかな?
そうしたら道が開けるかも!
と思ってやってみて、
結果、それでも道が開けなかったときに、
結構ダメージが深く出てきます。
わずかばかりの希望が砕けた時の
失望感、無力感があるのですね。
現実は、どこまで私に
挑戦してくるのだろう?と思いつつ、
逃げ場のないまま、ひたすら
やるべきことを一点突破
していくしかないのでした。
こんな感情や感覚を感じる体験を、
私は今生か、どこか別の人生でも
体験していたのだろうか?
あるいは、先祖の誰かが
こんな人生の一場面を送ったことが
あったのだろうか?などと
考えていると、
ひょっとしたら、
戦場で戦った誰かの絶望感、無力感
かもしれない、とふと思いました。
今のこの時代、この状況なら
命にかかわることはありませんが、
戦場だったら、それは即、
生死にかかわってきます。
ぬぐい難く、魂に焼き付いてしまった
体験だったのかもしれません。
そんな風にかつて生きた人生に
思いを馳せつつ、この気持ちのカケラ君を
お迎えに行っています。
少し重さが晴れてきたけれど、
この現実も何とか切り抜けられたら
いいな、と願いながら、
果てしなく見える長いトンネルを
今日も歩み続けます。