よく、やりたいことがわからない
という方があるのですが、
色々お話を聞いてみると、
やりたいことを見つけるよりも、
心に抱え込んだ諸々を
整理することの方が先かな、と
思えるケースが結構あります。
自分を見失って、
心が混乱した状態でいくら
やりたいことを探そうと思っても、
それは無理というもの。
自分の心が混乱している、
自分を見失っているという
自覚がない場合もありますが、
ちょっとヒントがあれば
やりたいことが見つかって、
それに向かって走り出せる
気力がある人以外は、
結構根深いレベルまで
自分を掘り下げて、
今の在り様を見直す必要がある方が
ほとんどじゃないかと思います。
ボタンを掛け違ったまま
走り出しても、結局全部外して
元から掛け直しになって
しまいますからね。
そうだよね、やっぱり
そこからやらないとね、
と思えた方は幸いです。
けれど、中には一定数、
そんなことより目先の答えを
もらって、とにかく動くこと
にしか意義を感じない方も
あるのですが、
まぁ、それはそれ。
人それぞれの道を自分で
選んでいるのですよね。
混乱した心では、何をやっても
充実感は得られないし、しばしば
見当違いをしてしまうし、
着実に前に進んでいる実感は
現実的にも精神的にもないでしょう。
これまでも繰り返し書いてきていますが、
人は誰しも、自分自身の最も深いところに
自身の人生を導く羅針盤を持っています。
なぜそれが機能していないのか。
その理由が、やりたいことが
わからなくなっている理由に
重なります。
要は、自分でそれに背を向けて
わからないように閉ざしているから
なわけですが、
そこには必ず、自分なりのメリットが
あるのです。
自分で自分の道を決めて実行し、
結果を引き受けることから逃げている、
とかね。
本当はそのように生きる力があるのに、
その力を使うのが、何らかの理由で
恐いのです。
そういうところをそのままにして、
やりたいことを見つけようとしても、
自分の道を生き始めた途端に、
深いところのそのプログラムが
引っかかって、結局自分で責任を
引き受けなくても良いような状況に
自分でしてしまうんですね。
思うように生きられなくて
不平不満を言う人は多いけれど、
深いレベルではそういう在り方を
していることで、
回避できているもの、
守られているものがあるのです。
それを手放しても自分で自身を
支える気構えができているかどうか。
そこからなのです。
今現在それができていないことで、
様々に抱え込んだ本来の自分とは
異質なものがあるでしょう。
それに合わせてきてしまっているので、
もはやそれが自分の一部になって
当たり前の状態でしょうが、
そういうものにも気づき、手放し、
それによってさまざまに掻き立てられる
感情も、一つ一つ統合していきます。
他者に依存し、あるいは不健全に
他者のものを引き受けているのを
整理するほどに、
境界線が明確になり、しっかりと
自分軸が取れるようになっていきます。
ハートの導きよりも優先させてきた
ものがなくなって、何よりも
ハートの声を優先できるようになって
初めて、
本当に自分がやりたいこと、
今自分がやるべきことが
わかる状態になるのです。
何かポンとやってきたヒントで
道が開けていくケースも
確かにあるけれど、
それは同時に、自身の導きに
繋がっていくプロセスが必ず
同時進行しているはずです。
そこが抜け落ちたまま、
何だかよさげな何かに
思い付きで飛びついていくのは、
ますます迷子にはまり込んでいく
だけではないかな、と思います。