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さて。
そんなにこだわらなくても良いはずなのに、
どうしてもこだわってしまう、許すことが
できない、ということがあります。
私の場合は、約束の時間を
守らない人が大嫌いで、
そういう人の評価はものすごく
辛辣に見てしまうところがあります。
色々事情があって仕方がないよね、とか
心に余裕があって、別段待たされても
それほど予定に支障がでないときは、
全然気にしないときもあるのですが、
そのせいで予定が狂うとか、
予定が立たないときなどは、
極端にその傾向が強く出て、
自分でもびっくりするくらい、
寛容さがなくなるときがあります。
私にとって、予定通りに進めるとか、
先の見通しが立っているというのは
結構こだわっているところの
ようでした。
色々気にしておかなければならない
不確定要素が多いと、その分
意識を向けるエネルギーを使うので、
その負担感がすごく嫌なんですね。
なんで私の貴重なエネルギーを
あなたのルーズさで奪われなくちゃ
いかんのだ!と、とても不愉快
になるわけです。
自分でもこのイライラが
どこから来るのかわからなかったので、
なるほど、そうだったのか!と
思いながら書いています。笑
極端にこの構図を要約してみると、
私が気持ち良く自分の使いたいところに
使いたいようにエネルギーを
注げない状態になるのは、
あんたが悪い!どうしてくれるんだ!
と思っているのでした。
ここまでアケスケに書いてみると、
おいおいって自分でも思いますが、
でも気持ちは正直なところ、
こういう理屈で波立っています。
感情と言うのは、筋が通らず
理不尽で、非常に自分勝手に
暴れるものですね。
そういう感情に対して私たちはしばしば
筋の通った理屈を求要求し、お行儀良く、
品行方正であることを求めます。
でも、そんなことはそもそも
無理なわけです。
感情は、そもそもそんな枠組みとは
全く別のレイヤーのエネルギー
なのですから。
それなのに、私たちは無理やり
別次元の枠組みを感情に持ち込んで、
どうにかして収めようとします。
そうして、その目論見がうまく行かないと、
自分に失望してダメな人間なんじゃないか、
と自分を卑下し、その思いが自尊心を
蝕んでいきます。
感情に、筋の通った理屈や品行方正さを
求めてはいけません。
そういう枠組みから大きく外れてしまう
としても、その価値観でジャッジメント
しないことです。
別にそれが悪いわけではありません。
筋の通らない凶暴さ、幼稚さ、醜悪さも、
在るがままに受け止め、周囲や自分を
傷つけないようなやり方で、安全に
そのエネルギーを表現し、昇華させて
あげられれば良いのです。
というわけで、
その予定が立たないことで
自分の中で感じる負担感、イライラを
受け止め、統合することにしました。
そのプロセスの中で、
ずっと以前から自分でもわからなかった
自分の嫌いなところがどうして
そうなるのか、少し見えてきました。
直そう直そうとしてきたのですが、
気が付くと、結局直っていないことの
繰り返しだったけれど、
それはある感覚を自分で閉ざしていた
ことが原因だったとわかりました。
少し糸口が見えてきただけで
外れた部分もあって、緩んできました。
結局は、相手の中に見る
憎むべき側面は、自分自身の鏡
であるわけですが、
思わぬ気付きが出てきました。
これだから、自分を知るという作業は
面白くてやめられませんね。
さて、続きのワークをしていく
としましょう。