毎日、色々ありつつも
少しずつ様々な手続きも
今できることは大分終わって、
一息付ける感じができてきました。
この状況で、自分の確定申告も
受付初日の昨日、無事に提出できて
ホッとしています。
気の重いことは先延ばしにせず、
さっさと片付けるに限りますね。
一人の生活も、
ボチボチ気楽にやっていますが、
淋しさはもちろんあるけれど、
完全に自分のペースでできるというのは
案外良いものだな、とも感じています。
毎日少しずつ、色々なものを
片付けているのですが、母が私のために
買ってくれた物の数々を見ては、
受けた恩の大きさを改めて感じます。
その恩に、どれだけ応えてあげられた
だろうかと思いつつ、キツく接したり
あまり構ってあげなかったりで
淋しい思いもさせたかもしれない
と思うと、切ない気持ちにもなります。
晩年は急に足腰が弱って、
体の機能もびっくりするくらいに
衰え方が速く、一気に進んでいきました。
側で見ていて、私の認識や気持ちが
追い付かず、どうしてこんなことも
できないのだろうと最初はイライラ
したものです。
けれど、しばらくして本当に
動けないのだというのがわかって、
本人もショックだったろうけれど、
私もかなりショックを受けました。
そういう体の変化を受け止めながら、
出来る限りあちこち旅行に連れ出したりも
したのですが、
少しは楽しんで、冥途の土産に
なったのだとしたらいいな、と思います。
体の変化の他に、内面の変化も
今にして思えば、というところがあって、
多分母は、いわゆる認知症の初期の
状態にあったのではないかとも
思いました。
何となく心ここに在らずで、特有の
ふわ~っとした雰囲気になっていたのも
サインだったと思います。
また、日常会話は普通にできるけれど、
同じような勘違いを何度もしたり、
普段とはちょっと違った店の手続きなどは
放置したままだったり、
問い合わせの電話をかけるとかも、
すごく嫌がっていました。
そのときは、ただの怠慢や電話嫌い、
元々の性格なのだと思っていましたが、
やらないのではなく、ひょっとしたら
できなかったのではないかと思います。
遺品整理をしていて、ごちゃごちゃに
まとめられた書類の束を見ても、
昔はもう少し整理できていた人
だったはずなのに。
本人も、自分はできなくなっている
というのを認めたくなかっただろうし、
そういう自分に不安を感じていた
かもしれません。
私も、母には結構キツい娘だったので、
素直に不安を打ち明けられずに
一人で抱え込んでいたかもしれない
と思うと、申し訳なかったと思います。
側にいて、毎日間近に接していても
知識不足から気付いてあげられなかった
のは何とも迂闊でしたが、
もし、そういう可能性も踏まえて
接することができていたなら、
母の晩年ももう少し心安らかに
過ごせていたかもしれません。
御高齢の親御さんを持つ方は、
同居されていても、離れて暮らしていても、
ちょっとした変化にも、ぜひ心を配って
あげてください。
衰えていく親御さんを見るのは
辛いところでもありますが、
そういう衰えも受け止めながら、
出来る限り、ご本人の不安や苦痛が
和らぐようにサポートして
差し上げてください。
私の母は、最期まで自立していようと
頑張ったのだと思います。
そうして、このタイミングは、
自立して過ごせるギリギリのところ
だったのでしょう。
そういう意味で、まさに天寿を全う
できたのだろうな、と思います。