ここまで、
母が亡くなる前後の物理的なことを
私の備忘録を兼ねて、
書き綴ってきました。
まだまだ心の整理は必要なのですが、
今の段階で気付いた心境の変化など
綴ってみたいと思います。
いつか、自分や身近な人が
そういう立場に立ったときに、
何か参考になるかもしれません。
現在、我が家では家系のトップが
実質的に私ということになり、
色々考えていかなければならない
実務的な諸々の負担も大きいのですが、
それと同時に、
家の歴史や先祖のエピソードを
弟たちや姪っ子たちに
色々伝えておきたいな、
と思う気持ちが出てきています。
すぐ下の弟は私と3つ違いなので、
それほど育った時代も違わないのですが、
下の弟は14違うので、
親戚付き合いの感覚や、
伝え聞いている家の歴史のことも
ずっと少ないんですね。
大した家でもないのですが、
それでも曾祖父の時代に始まった店は、
一時期それなりに羽振りも良かった
時代もあり、それは地域の歴史とも
結びついていたりもします。
下の弟はまだ30代後半ですが、
もう少し年を取った時に、
自分のルーツを知ることが
必要になるときもあると思います。
なぜなら、
もし仮に自分を見失うようなことが
あったとき、自身の命の根っこを
思い出させ、蘇らせる力となるからです。
あなたの先祖はこんな人だったよ、
こんな思いで、こんなことをして
生きた人だったんだよ、ということが、
生きる支えになることが
あるんですね。
そういう支えが必要になるかもしれないし、
そんな機会もないままに終わるかも
しれないけれど、
伝えておかなければ、という意識が
母が亡くなって以来、強くなっているのは、
人間という存在の、ある部分では
本能なのかもしれません。
昨日は3つ離れた上の弟と連絡がてら、
つらつら話す機会があったのですが、
たった3つ違いでも、
長く母の側にいた私と違って、
割と知らない話もあったようで、
話せて良かったと思います。
家のトップに母がいたころは、
何となく家というものに対する
責任を今ほど感じていませんでした。
母が年を取って大分弱ってからも、
精神的には、母はずっとそういう責任を
背負いながら生きていたんだな、
としみじみ思います。
今、母が背負っていたポジションに
立ってみて、弟たちを見る眼差しも
少し変わった気がします。
彼らも結婚して独立し、
子供もいますが、
母はこういう眼差しで彼らを
見ていたのかもしれないな、
と思うような見方を自分も
しているようです。
かつては、私も母の眼差しを
かなり疎ましく感じることも
しばしばあったのですが、
今にして思えば、
母の言動が腑に落ちるところが
色々あります。
私には子供はいませんが、
よく、自分が親になって初めて
親の気持ちがわかったと言う、
あれと同じかもしれません。
次の世代に何を伝え、残していくのか。
そういう眼差しを持った時、
本当に伝えていきたいものは、
やはり純粋な生きた証、思いに
なっていくと思います。
その本質を本当に受け取ってくれた
存在がいたなら、その人生は
報われるのです。
セッションでたくさんの御霊の思いに
触れてきましたが、無念も、
その生きた証を受け取ってもらえた時、
昇華されることがよくありました。
大事なことは、受け取る側が
どれだけその本質を受け取れるくらいに
成熟しているか、ということです。
私も、どれだけ大切な本質を
受け取れているか。
今は先人たちの足跡に思いをいたし、
次の世代へバトンを渡していく
ということの重みを、少し
意識し始めたところです。
よくよく務めを果たせるよう、
精進していこうと思います。