明後日はいよいよ冬至。
その日を目指して、色々取り組んできた
方にとっては、焦ったり、迷ったり、
あるいは、準備万端!という方も
あるかもしれません。
先日の満月の瞑想会のときにも
話題に出たのですが、そうしても
「良い状態」でこの日を迎えていきたい
と思うあまりに、
混乱したり、今一歩、力強く
踏み切って行けずに表面的な調和で
ここを通過していこうとしてしまう
という傾向が見て取れました。
冬至は確かに一つの大切な区切り
ではありますが、そこが全ての
ゴールではありません。
その先も、まだまだみなさんの旅は
続いていきます。
その時だけ取り繕っても
意味がないのです。
まして、この先の世界は、
ますます本質が問われて行きます。
そんな世界に飛び込んで行くのに、
どんな自分であることを
宣言していくのか。
何よりも、この瞬間の
自身の真実に誠実であるように。
誰のせいにもしないで、
ただただ自身の現実に向き合い、
引き受け、誠なるものを
表現していくように。
たとえそれがドロドロで混乱し、
理想とは違って醜く見えたとしても、
逃げず、否定せず、受け止めていくこと。
その昇華させていくプロセスを
突き抜けていく中で、私たちは
理想を越えた神秘に触れていきます。
そういう在り方をこそ、軸とするように。
ある一点を強く意識すると、
それ以外のところがおろそかになってしまう
ということがありますね。
この瞬間、この瞬間、この瞬間、
全て大事なのです。
この瞬間の在り方で、
過去と未来が決まる。
だから、
この瞬間にどんな自分で在るのか、
問うていくんですね。
昔、私が深い目覚めた意識のマスター
レナード・ジェイコブソンの
リトリートに参加した時のことを
お話ししましょう。
清里で行われたそのリトリートには、
何度目かの参加で、当時の私は
どうしても掴めもせず、辿り着けもしない
何かに触れようと、必死でした。
自分にできることはすべてやったし、
最中も、ずっと祈り、求め続けていました。
けれど、その望みも空しく、
何も得られずにリトリートが終了した時、
私は深く絶望しました。
何も得られず、というのは
違ったかもしれません。
その深い絶望こそが、
得られた最大の恩寵だったのです。
まだ完全にその絶望を昇華できた
わけではないけれど、
あのリトリートの期間も、
その後の絶望の歩みのときも、
恩寵はずっと私を離れずに
今もともに在る、ということは
わかります。
私は祈り、求め続けていたけれど、
あの時に放った祈りは、
思うような叶えられ方はしなかったものの、
その後も続いた歩みの中で、
恩寵とともに在ったと知ることが
出来たこと自体が、神からの答えであり、
その答えは今もなお続いているのでした。
あなたの放った祈りや思いは、
必ず聞かれています。
それが叶えられるのは、
必ずしもあなたの思うタイミングや
やり方ではないかもしれないけれど、
いつか必ず、神は常に自分から離れずに
ともに在ったということを知るでしょう。
ぐっと闇が深くなり、光に反転していく
このときに、あなたはどんな祈りや願いを
放つでしょうか。
その思いは、時空を超えて、
あなたの人生を導いていきます。
思いを放ったら、歩み続けるように。
この瞬間の一歩に、
自身の真実を刻んでいくように。