冬至を前に、心の奥の
もやもやが浮上してきている
今日この頃。
それでも、
この程度のもので済んでいる
というのは、有難いというべきか。
人付き合いにおいて、
すごく気を付けているんだけれど
なぜか繰り返しやらかしてしまう
ことがあって、
今回も、大切にしたい関係性で
思い切りやらかしてしまったなぁと
ちょっと心が揺れ動いていました。
一番そうで在りたくない自分に
図らずもなってしまうのが
とても嫌だったんですね。
でも、
そういう結果になってしまうのも、
要所要所での自分の身の処し方が
根本的にどこかおかしいが故。
それがどこなのか、何なのか、
ずっと掴めずにいました。
今年も振り返れば、
様々なご縁の中でやらかしてしまった
時のことを思い返してみると、
ちゃんと行動すべき時に
固まって動けなくなっていることに
気付きました。
それが原因でタイミングを逃したり、
義理を欠いてしまう振る舞いになって
いたんですね。
固まった時に正常な判断ができなく
なっていて、混乱している様子が
捉えられたので、まずはこの
混乱のエネルギーを統合してみました。
固いかと思うとモヤッとしていたり、
なかなか複雑な質感で捉え難く、
深まるに従って、広範囲への広がりが
現れてくるという、手強さがありました。
それでも、取り組んでいくに従って、
ずっと前から懸案だったテーマに
繋がっていることが見えてきました。
本質の根本のところで
どういうわけか逃げてしまって
向き合い切れない何かが
ここにあるようなのでした。
何となくの感覚で例えて言うと、
神様に対して不義理を働いて
逃げてきたような、
そんな感覚でした。
だから、
神様に向き合うのがものすごく
恐いし、バツが悪いという感覚。
ここで言う神様というのは、
私がいつも言う内なる神とかではなく、
姿かたちのある神様の感覚です。
親なる神様の怒りを買い、
勘当されているのが本当は悲しくて
許してほしいのだけれど、
どうしたらいいのかわからない。
大神様の前で、
ちっちゃくなって固まってる、
みたいなイメージですね。
けれども、今のまま許されても、
多分不義理を働くその根本の種は
残っているので、これを回収するまでは
そう簡単に許されてはいけない
のだろうとも思います。
ここは自分次第ですね。
冬至までには、しっかり回収
していきたいところ。
誰かに許しを請う時の大原則は、
許してもらって自分が楽になることが
目的なのではなく、
自分の行為によって
相手を傷つけたことにしっかり向き合い、
受け止めたところから謝罪することです。
自分の混乱、動揺を収めたところから
改めて冷静に出来事に向き合わないと、
見えてこないものがあります。
そう言えば、私は昔から
目上の方に信頼されることに
どうも気おくれがあって、
とても申し訳ない気持ちに
なることがよくありました。
目をかけていただけばいただくほど、
いつかその信頼を裏切ってしまいそうな
恐さがあったんですね。
なるほど、
ここにもつながって来るのか。。。
決して悪気があってそうなる
わけではなく、ただただ自分の至らなさ、
失態故にそうなってしまうのを
どうしても避けられないのです。
自分のエネルギーをじっと読んでいくと、
不穏な気配の背信の種を感じます。
色々、やらかしてきているんだなぁ。
陰が極まるこの時期に、
なかなか深いものが出てきましたね。
ボチボチ取り組んでいくことにします。