来週末15日(日)17時から、
毎月恒例の満月のオンライン瞑想会を
行います。
いつものように、
お一人お一人リーディングし、
アドバイスやメッセージを
お伝えします。
エネルギーの調整、チャージもしますので、
当時の前のこのタイミングでしっかり整え、
冬至、新年を迎えて参りましょう。
詳細、お申込みはこちらから
⇒満月のオンライン瞑想会
さて。
人間関係において、
自分を差し出してしまうということ
について、これまでも何度か
書いてきました。
自分をよく思ってほしい、
愛してほしい、受け入れてほしい、
称賛してほしい、特別な存在
にしておいてほしい、
殴らないでほしい、
仲間に入れてほしい、
ここに居ていいという許可が欲しい
等の思いから、
相手の気に入るように振る舞うとか、
欲しいものを与えてしまうんですね。
この構図の一番最初の原型は、
親子関係ですが、子供が親に
気に入られるように、
親の顔色を窺うわけですね。
一人では生きていけない弱い立場故に、
親に見放されたら、それは生死にも
かかわります。
だから、生存本能が強烈に
掻き立てられるわけです。
そうして、この構図が学校に入れば
先生やクラスメート、就職すれば上司など
と続いていきます。
目上の立場だけではなく、目下の
後輩や部下、子供ができれば
子供の顔色を窺っている親御さんも、
結構いらっしゃいますね。
目上の立場だから強く出るべきだ
とかそういう話ではないのですが、
上の立場であるならば、それなりの
心構えからくる立ち居振る舞い
というのがあるわけで、
目下の顔色を窺うというのは、
そもそも、自分の役割や意義、
やるべきことを理解していないが故に、
信頼関係を築けていないということ
なんだと思います。
たとえば、
どこかに遠足に行く子供たちを
引率する先生を例に挙げてみましょう。
先生は、子供たちが迷子になったり
事故やケガなどをしないよう、
子供たちをうまくまとめながら
目的地に向かいます。
非日常の空気感に、子供たちも高揚し、
つい羽目を外したりしてしまう子も
いるかもしれません。
けれど、先生は冷静にその状況を見て、
注意したり時には厳しく叱責したりしながら
子供たちを目的地に導き、体験させ、
帰宅までを見守ります。
無事に親御さんたちのところに
子供たちを帰すまで、先生方は
どれだけ事前に準備し、最中も
心を配ったでしょうか。
時に強い叱責があるのも、
その責任感故だったりしますね。
これがもし、生徒の顔色を窺うような
先生だとしたら、どうでしょうか。
その先生は、生徒が知らずに
危険な冒険をしようとしたときに、
毅然とした態度で止めることが
できるでしょうか。
自分の個人的な気分の表出からの行為と、
大きな目で見た時の相手に対して
果たすべき責任からくる言動の違いを、
その先生は混同していないでしょうか。
叱責を受け取る側も、
明確に言葉で表現されていなかった
としても、言外のそのニュアンス
の違いは感じているものです。
自分を差し出すのを止めるには、
孤独になることや、メリットを失うこと
への恐れを引き受けねばなりません。
あなたに愛されなくても、
あなたが去っても、私は私でいる
という自分軸が必須なんですね。
自分の中の恐れをしっかり統合
できればできるほどに、あなたは
他者と絡み合うことがなくなり、
自由に、忖度なく自分を表現できる
ようになります。
自分の心が不自由なのは、
誰がどうだから、ではなく、
自分の在り様の問題なのです。