私の感情解放ワークでは、
自分や他者を責めることは逃避だと
お伝えしています。
そう言うと、
驚かれる方も多いのですが、
自責、他責をすることで生産的な
何かが生まれるのなら、いくらでも
すれば良いでしょうが、
果たして
実のある何かが生まれたためしが
あったでしょうか。
なぜそれが逃避なのかと言えば、
自責、他責をする瞬間に自身の心に
湧き上がってくる感情を捉えられれば
理解できるでしょう。
もし、責めないでその出来事を
受け止めたなら、ものすごく居心地の悪い
落ち着かない感情が浮上するでしょう。
誰かを責めるのは、その居心地の悪い
感情や感覚を紛らわせているだけなのです。
その状態では冷静にものごとに向き合う
ことはできませんし、調和に向かうための
行動を適切に取ることもできません。
こういう状況で取るべきは、
まずはその居心地の悪い感情を受け止め、
きちんと統合することです。
それから改めてその出来事に向き合えば、
先ほどとはまるで違った景色が
見えてくるでしょう。
誰も責める必要などなく、
状況を深く受け止め、謝罪が必要なら
そうすることもできるでしょうし、
必要な対応を適切にすることができます。
出来事は、一方的に誰かが悪くて起こる
というものではなく、必ず双方に
それを引き起こす要因があります。
その要因を一方的に押し付けることなく、
まずは自分の責任領域をしかと受け止め、
認め、果たすことです。
それをしないで相手に責任を問うても、
相手は自分の鏡ですから、同じように
一方的にあなたを責めるばかりでしょう。
自分の在り様が変われば、
現実は即座に変わります。
自分が責任を果たしているから、
こじれることなく、ものごとが
調和の内に収束していくのです。
この原則をよく知っておいてください。
誰も責める必要はなく、
ただ、自分が果たすべき責任がある
だけなのです。
たとえ、戦わねばならない状況になった
としても、それは毎瞬、自分の責任を
果たし切ったのか、という戦いに
他なりません。
外に敵を作るのではなく、
ひたすら、自身の内に逃げようとする
自分を転換させていく戦いが
あるだけです。
自分が何と戦っているのか、
戦うべきものが何なのかをよく知り、
鏡の中の自分と戦わないように。
自分や他者を責め始めたら、
逃避している、と知りましょう。
自分の中の逃げ道を塞いで
向き合うべきものに対峙し、
責任を果たすほどに、あなたは
自身の真の力を取り戻していきます。
空虚な逃げ口上で、
ふわふわしていた足元に
ぐっと力が入り、どっしりと
自分を支える力を感じるように
なるでしょう。
責任を引き受けることに恐れを抱き、
自身の無力さに慄く人は多いけれど、
あなたは無力ではありません。
ちゃんと力は備わっています。
ただ、そのことを知らず、
力を正しく使えていないだけです。
自分に力があることを知りましょう。
そして、正しくその力を使うように。
この国では、誇り高く生きることが
教えられなくなって久しいですが、
子孫にそれを伝えられないことは、
いかに惨めなことか。
いかにして誇り高く生きるか。
後ろめたさなく、凛として生きることが
できるのか。
自分自身から始めていきましょう。