人の心を縛るものは
執着や恐れや未練など色々あるけれど、
今日はその中で、被害者意識について
思うところ書いてみます。
これについてはこれまでも
様々な角度から書いてきてはいますが、
今回はそれがいかにして私たちの心を捕え、
暗い領域に心を縛り付けるか、と言う視点から
紐解いてみましょう。
自分を被害者にするのは、
それなりにその人の中では
故あることでしょう。
それが傍から見て妥当なのかどうかは
さておき、何らかの理由でその人の心は
痛みを発しているのです。
その痛みをもたらした相手を加害者と見た時、
自分が被害者になるわけですね。
被害と被害者と加害者は一体のもので、
それらは単体で存在することはできません。
自分が被害者か加害者のどちらかになった
途端に、その反対の加害者と被害者が
生まれます。
自分が被害者にも加害者にもならなければ、
被害は存在しないのです。
ただ、これは聖人のようになって、
何をされても超然とした態度で
自分の心の中で痛みを黙殺し、
被害を無かったことにしましょう
という話ではありません。
セッションでは、
被害者としての立場から痛みを癒し統合する
流れが多いですが、まずはその痛みを
受け止めるところから入ります。
ただ、それだけやっても、
根本的に被害という出来事の
もたらしたものを完全に癒すことは
できません。
それだとまだ統合作業の半分か、
1/3程度なのです。
まずはやられた!という被害の痛みを
ある程度癒し、緩めたところから
飲み込んで表現されなかった思いを
吐き出したりします。
そこから今度は、両極の反対の加害者の
ポジションに意識を入れ、相手の感情や
思いをつぶさに見ていきます。
被害者としての痛みがまだ生々しいと、
抵抗が大きすぎて相手に入れない
ことも多いのですが、
統合のポイントは、必ず「両極を知る」
ということなんですね。
片方だけだと、自分の正しさに
視点が固着していて、
この出来事の本質を見ることが
できません。
逆に言うと、
被害者である自分が、加害者でもある
ということを見ることができた時、
被害という出来事の認識が変容し、
がっちりと固着していたその人の世界が
一気に崩壊、再編成されて行くのです。
このポイントが、
いわゆる0ポイントフィールドになります。
だから、
自分の正しさと言う世界観の中で、
自分を被害者に固定している限り、
被害と被害者、加害者という因子を
越えていくことはできないのです。
ひどく傷ついた心の状態で、
加害したあの存在と自分が同じ
だということを見るというのは、
確かに酷な話ではあります。
人間目線の感情的には、
大いに同情するところではありますが、
エネルギーや意識の構図的には
この苦しみの出口はそこにしか
ありません。
魂に刻まれた様々な人生の記憶を
紐解いていくと、
今生では被害者だった人が、
別の人生では加害者であったりして、
被害者と加害者の輪廻を延々と
繰り返している様が見えてきたりします。
何度も何度も、怒りと悲しみと憎しみ、
恨みの関係性を繰り返して、
抜けられないのですね。
それらの感情を抱かないように、
感じないように、関わらないようにしても、
ただそれは蓋をしただけで、
私たちの奥深くから、
同じ質のものを引き寄せずには
居れないのです。
自分の人生に、何故その出来事が
起こったのか。
目の前のもの、自分の中に在るものを
否定せず、しかと受け止め、
良く知るように。
本当にそれらの悲劇を脱したければ、
恐れを越えて、自身の奥底の暗い気持ちを
真にマスターするように。
自分の正義に固執することの
虚しさに倦み、そこから離れて
新たな選択をするのは、
勇気の要ることでしょう。
それが、どうしてもできない人も
いるのですよね。
憎しみや恨みを生きる原動力に
していることもありますしね。
頭だけで、手放します!と宣言すれば
良いというわけではないので、
本当に決意できる瞬間が訪れるというのは
まさに恩寵だと思います。
さて、あなたが自身の被害者意識を
永久に手放すのは、いつでしょうか。
恩寵が、あなたとともに在りますように。