ここのところ、
もっと全力で事に当たらんかい!
と喝を入れられるようなことが
続けてあり、
どうにかこうにか気力を振り絞っている
ところであります。
私たちはとかく、限界まで力を出す
ということをしないで、そこそこで
生きていることが多いと思います。
限界だ!と思っても、
本当の限界からは大分手前で引き返して
お茶を濁しています。
だから、
誰かや何かに発破をかけられると、
いつもよりもう少し力が出せたり
するんですね。
つまり、これまではその力があるのに
出していなかったわけです。
私の場合、以前限界を超えすぎた状態で
仕事を頑張ってしまって体を壊したことが
あるので、
そこそこで止めておくというのは
自分を守るための手段でも
ありました。
もう随分昔になりましたが、
体を壊して5カ月の休職の後
退職した後でも、
ちょっと動きすぎると
急にガクッと動けなくなって、
回復までにものすごく時間がかかる
ということが繰り返されていました。
一度壊れてしまうと、
昔の体のようには動かないんだな、
というのを、トライ&エラーを
繰り返しながら、
ここまでなら大丈夫、という加減を
身に着けていった感じです。
今はもう平気になりましたが、
今度は別の意味で、
歳を重ねていくこの心身に丁度良い
生き方を模索しているところです。
そんな、そこそこを生きている今、
自分に優しくしすぎて、
本当は鍛えればもっと別の可能性も
開けてくるのに、みすみすその可能性を
捨てているところもあるんじゃないか
と言う気がしてきました。
特にここ最近の流れは、
私のこれまでの限界を超えていかざるを
得ない流れなので、アタフタしながら
自分の諸々に向き合っています。
厚すぎる壁を前にするとまず出てくるのが、
無理しないで、楽な選択をしようか、
それともぶつかっていくかという迷いで、
そのために無為に時間を過ごしてしまう
ということが続いていました。
そういうときって、
楽な方に流れるためのもっともらしい
言い訳がわんさか出てくるんですよね。
で、結局最終的にはぶつかっていく!
と気力を振り絞って選択したわけですが、
どうしてそういう選択をしようと
思ったのかと言うと、
自分の新しい世界線を見てみたい
という思いからでした。
別に楽な選択をしても、チャレンジしても、
どちらが正解とか不正解とかでは
ないんですよね。
選んだ選択を正解にするのが、
その後の自分自身の歩みなので。
ただ、楽な方に流れるのは
大体その先も予想がつくし、
もうそれは結構やってきたので
卒業しよう、と思ったわけです。
そうして新しい世界線を選んだ瞬間から
それを歩み切る力を振り絞らねば
なりません。
すると、それまではそこそこ
足りていた自分のあちこちに、
不足が見えてきます。
全然力不足だったな、という現実が
突きつけられてきます。
力を出し渋っている場合ではないんですね。
こういう不足が認識できるから、
次に何をしたらいいのかがわかり、
その方向に道が開けています。
こういうことを繰り返していたら、
ぐっと成長できるだろうな、
と言うのは自分でもわかります。
どこまでできるのかはわかりませんが、
結局、ある選択を前に決めるのは、
できるかできないか、ではなく、
やるかやらないか、しかないのです。
やる、と決めたなら、
できるようにやるだけです。
そのためのあらゆる努力をする。
工夫をする。鍛錬をするのです。
さて、今年の年末には、
どんな自分が待っているかな?
と楽しみに、日々励むことにします。