人生は唯一無二、
生まれてくるときも、
この世から去るときも、
突き詰めて言えば、
一人なんですよね。
様々な存在に見守られ、
支えられていたとしても、
あなたの人生はあなたのもので、
歩むのはあなた自身です。
あなたの人生における
主体のポジションを、容易く
他者に明け渡してしまっては
いけません。
何となく周りに流されて生きるのも、
誰かに依存して生きるのも、
抑圧を受け入れるのも、
主体である自分が不在の状態です。
そのようにして生きていると、
何か辛いこと、
意に染まぬことがあった時、
自分で責任を放棄しているので、
無自覚に責任転嫁してしまいがちです。
そうしてなぜか、
あなたが幸せを感じられないのも、
人生に不足を感じるのも、
誰かや何かのせいで、
それが自分に思うようにしてくれるのが
当たり前で、そうしてくれないのは
極悪人や罪悪なのだと責め、
いつでもあなたは哀れな被害者なのです。
けれど、彼らは根本的に、
あなたの機嫌を取るために
生きているのではありません。
彼らが責任を負うのは、
自分自身の人生に対してであり、
同様に、あなたの人生の責任は、
あなた自身が負うのです。
これは人生の大原則だし、
これまでにも何度も繰り返し
書いてきているのですが、
その意味するところを
深く自身の心に落とし込んで受け止め、
理解されている方は、多くはないように
拝察します。
セッションで、
内なる神との対話のやり方、
意識のポジション、
マインドとハートでの対話の違い
等々お伝えしていますが、
一旦その感覚をつかんだ後に、
一人で日常の中で再現していけるように
するのは、自分なりの創意工夫、
探求が必要でしょう。
それができるようになるのは、
内なる神との対話の、
ほんの入り口です。
手ほどきを受けた後は、
自分でどこまでも深めていく中で、
自分と神との、本当にプライベートな
秘密の対話がなされて行くのです。
その領域は、誰にも介入されては
なりませんし、そもそも、
そんな余地などないものです。
そういう対話を重ねることで、
本当に神という存在が自分にとって
いかなるものなのかが心底、
定まるんですね。
それがなく、誰かが神とは
善い存在だと言うから、
多分そうなのだろうと鵜呑みにして
大前提を他者の価値判断に
委ねていたら、
その上にどんなに見栄えのする
何かを積み上げようと、
所詮それは自分という存在の
根底を支える基盤とは
なり得ないのです。
だから、セッションで
内なる神との出会いを果たした人にも、
今後は自分で、神との対話を深めて
いくように、と必ずお伝えするのです。
五里霧中の荒野を彷徨うような人生で、
何を頼りに歩んでいくのか。
一人では心許ない、とても無理だ、
誰かすがれる人が欲しい、という
不安感と飢餓感を抱きながら
生きている人にしばしば出会いますが、
私は、あなたを導いてげましょう、
助けてあげましょう、あなたの灯に
私がなりましょう、とは、
決して言わないんですね。
身近で接したことのある方は
よくご存じかと思いますが、
私の仕事は、あなたが、
自分で自身の内なる羅針盤を読み、
自分の足でこの人生を歩んで
行けるようにすることです。
私のあらゆるサポートは、
そのためにあります。
けれども、
やり方を知って、学んでもなお、
心が自立しない人も多いですね。
最後には自分の人生の責任を持つ、
という意識が欠けているからです。
その不安から逃げ続ける限り、
根本的に依存したい心は
癒えていかないでしょう。
よくよく、心しておくように。