私たちは、知らず知らずの内に
自分を制限し、伸びやかでパワフルな
本来の自分を矮小化させていることが
あります。
その制限の多くは幼少期に始まり、
親や先生など、身近な人たち言われた
言葉や態度によって、
伸びやかなありのままの自分の
この表現は良くないのだ、と学習し、
自分を抑えるようになります。
誰しもがこうした無意識の制限を
多かれ少なかれ持っているもの
だと思いますが、
心にしっかりインプットされた
プログラムが無意識にあるうちは、
変えようもありません。
セッションで心の奥深くを
掘り下げていくと、現状にはそぐわない
こうしたプログラムをいくつも
見つけることになるわけですが、
それらを停止させ、あるいは
書き換えていくときに、
しばしば感じることがあります。
それは、
外からどんなに言われたとしても、
結局のところ、最終的にその言葉に
力を与えているのは、他でもない
自分自身である、ということです。
たとえば、
お前はブスだ、無能だと言われたとして、
その言葉を真に受けて自分の真実として
信じ込んでしまう人もいれば、
全く受け入れずに、自分は美しいし、
有能だと信じて疑わず、かえって
それを言った相手の方がおかしいのだ
と思う人もいます。
両者は同じことを言われたのに、
なぜこんなにも受け取り方が
違うのでしょう?
ネガティブな言葉を受け入れやすい人は、
それを言われる前に、自分の中で
実はそう思っている心の傷があるので、
改めて外からそれを言われたときに、
ショックとともにチクチクとした
心の痛みを伴って、深く刻まれやすい
のだろうと思います。
そしてまた、自尊心を挫かれているので
本来は自分を満たし、大切にする力が
駄々洩れになっていて、
自分を傷つける相手の言葉に
その力と権威を与えてしまうのです。
そうして、傷ついたその人は、
さらに無力になっていきます。
自尊心というのはとても大切なもので、
人が健全に生きていくうえで、
欠くことのできない要素です。
それが何らかの原因で挫かれていると、
その人は自分の本来の力や価値を
見失い、
幸せに生きることや、
価値ある素晴らしい存在として
自分を表現することが
素直にできなくなってしまうのです。
どんなに頭で願っていても、
そんなものは、自分にはふさわしくない
と感じてしまって、自ら制限を
かけてしまうんですね。
自分が自身を評価していないし、
幸せになることも許せていない、
力があるなんて露ほども思っていない、
となれば、
周りがどんなにあなたは素晴らしいと
教え諭したとしても、
自分が思った通りのものになる他
ありません。
こうした骨の髄までしみ込んだような
思い込みのプログラムを解除するには、
ただ思考レベルで言葉を書き換えるだけ
では弱くて、
それが入った時に感じた気持ち、
つまり感情のエネルギーを
しっかり癒してあげることが
大切です。
そのレベルが癒えていくと、
固くなっていた心が緩み、
もっと広い視野で自分を
捉えられるようになます。
そこで初めて、
ニュートラルに自分を見て、
確かに自身の内に宿っている
力や輝きを感じて、思い出し、
別の選択ができるようになるわけです。
それは、自分にそもそも無いものを
あると無理やり信じ込むわけでは
なくて、自身の真実に帰っていく
ことでもあるのです。
あなたは美しく、とてもパワフルです。
これは真実だけれども、
そのことをあなた自身がしかと
真実だと「感じられて」いなければ
いけないのです。
そして、あなたが本当に自身の内に
光り輝くパワーを感じられた分だけ、
それをこの人生で体現して生きることが
できるでしょう。
まだ体現できていないあなたの可能性を、
どれだけこの人生に汲み上げることが
できるか。
チャレンジですね。