表面に見えている姿と、
その方の奥深く、本質のエネルギーは
全然違う、と感じることが
しばしばあります。
セッションで様々な方の
エネルギーをリーディングさせて
いただくのですが、
パッと見、とても物静かで
穏やかそうな方に見えても、
奥深くのエネルギーを見ると、
とても情熱的で激しく、スケールの大きな
エネルギーを持っているとか、
一見すごく強面でちょっと近寄りがたい
雰囲気だけれど、本質的には
子犬のように無邪気で純粋な方、
心身ともに憔悴しきっているような
状態の方も、魂の奥には
ものすごく強靭で、多くの人を導く
ヒーローのような光り輝く姿のビジョンが
見える方など、様々です。
人生にも浮き沈みがあって、
良いときもあればそうでないときも
あるように、
魂の辿ってきた様々な人生の記憶も、
不遇だったり、恵まれていたり、
穏やかだったり、激動の変遷を経験
していたりするのでしょう。
だから、今この一瞬の表面的な姿を見て、
その人の本質を判断することは
できないな、とつくづく思うのです。
そんな感覚を持ち始めたのは、
ヒーリングの勉強を始めた初期の頃に
ヒプノセラピーを学んで、
様々な別の人生の記憶(いわゆる過去世)
を見るようになってからです。
誘導に従って、魂の奥底から現れる
性別も身分も国も職業も違う人生を
生きていた人生の記憶にアクセス
するのですが、
私自身が受けた初めてのセッションで
最初に見えたのは、自分は男の子で、
立派な武家屋敷で乳兄弟のような
友人と遊んでいる場面でした。
奥の部屋では何やら身分の高い尼御前と
男性が私たち子どもの遊ぶにぎやかな声を
聞きながら話をしていました。
別の場面では、自分は城を攻める将で、
落ちていく城を前に、首検分をしていました。
そして、部下が運んできた
白い布にくるまれた首を見ると、
子供の頃にともに遊んでいたあの
乳兄弟の、見覚えのある顔でした。
そのときの、何とも表現し難い感情も、
はっきりと覚えています。
そのストーリーで最後に飛んだのは、
夜陰に紛れて山の中を落ち延びていく
落ち武者になった自分でした。
べったりと両手にこびりついた血のりも、
もはや自分のものなのか誰かのものなのかも
わかりませんでした。
そんな人生の記憶もあれば、
別の人生は、様々な村を渡り歩く、
千里眼を持つ薬売りでした。
村に着くまでに、
その村に住む人が必要とする
薬がわかるので、着いてすぐに
その人のところに薬を配り歩いていました。
そして今生ではヒーラーという仕事をしていて、
様々な方のご相談をネットやサロンで直接
お聞きしています。
城攻めをする武士と落ち武者は
想像が付きますが、
それとヒーラーや薬売りは、
あまり想像がつきませんよね。
人の命を奪ったり、
陥れたりした経験もあれば、
癒したり、助けたりすることも
しているわけで、
どんな魂も、
光だけ、闇だけということは
ないのだと思います。
人は、自分が見たいところ、
そうであってほしいところだけを
見たいと思い、
見たくないところ、
そうであっては欲しくないところは
目を背け、見えなくしてしまうものですが、
どちらの要素も、
自分の中にあるのならあると認め、
受け止めることで、
善悪を越えた、
魂の壮大なストーリーと、
そこに宿る、永遠なるものの意図
のようなものに触れていきます。
私たちの人生を運んでいくこの力は、
私たちをどこに運んでいくのでしょうか。
目の前の出来事によって、
心の内に様々に掻き立てられるものを越えて、
永遠なるものの愛に帰る道を
辿っていきます。
誰しも、その帰り道の記憶を持っています。
ただ、迷いやすい私たちの心は
しばしばそれを忘れてしまいます。
だから、その帰り道を思い出せるように。
そう願いながら、
今日もセッションしています。