知らず知らずの内に
誰かに気に入られるように振る舞う。
そんなこと、ないでしょうか?
パートナーに、
先生・生徒に、
上司・部下に、
親・子供に、
友人知人、フォロワーに、
などなど。。。
イメージでお仕事をしている人は、
それも仕事の内で、必要なこと
なのでしょうが、
そうであったとしてもなかったとしても、
無意識に引きずられていると、
自分自身を見失うことになります。
特に、相手が絶対に失いたくない存在
であるほど、無意識に自分を差し出して、
つなぎとめようと必死になって
しまったりしますね。
そうなると、自分軸なんかは
どこか遠くに吹っ飛び、
ハートの声を聴くことなど
すっかり忘れて、意識は相手に出張し、
自分は全くのお留守になります。
これでは、一体誰のための人生を
生きているのでしょうか?
去年、ひすいこたろうさんとの共著
「今日、誰のために生きる?」を
出版されて、大人気になった
ペンキ画家のSHOGENさん。
彼はアフリカのブンジュ村で、
様々なカルチャーショックを受けるのですが、
ブンジュ村でのあいさつが、
「今日、誰のために生きる?」
なんだそうです。
さて、そう問われたら、
あなたはどう答えるでしょうか?
好きな人のために、
子供のために、
お金様のために等と
答える方もあるかもしれません。
けれど、誰のために生きるよりもまず、
自分自身を生きないと、
その○○のために、は、何かの拍子に
恨みに変わってしまいます。
こんなにも自分を捧げたのに、
思うように報いてもらえなかった、
というその恨みは、
後回しにされ、ないがしろにされて
傷ついた自分自身の怒りと悲しみ
からきています。
だから、
まずは自分自身をちゃんと生きて、
満たしてあげることが先です。
自分軸というのは、
自分が何を欲しているのかを知り、
それにきちんと応えていくところから
できてきます。
自分にとって、
とても引力のある誰かの前にいても、
しっかり自分自身に留まり、
自分が何を感じているかを毎瞬
受け止めながら、安易に自分を差し出さずに
自分を表現できるように。
特に、
とても信頼し、尊敬している人や、
条件反射的に恐れを抱く人、
執着を抱いている人に対して、
自分がどういう状態になっているか、
よく観察なさってみてください。
浮足立ち、自分がお留守になっている
人ほど、コントロールされやすいので、
その状態が本当に自分自身にとって
好ましいものなのか、吟味することです。
自ら進んで、そういう状態に浸る
恍惚感のようなものを得に行くケースも
あるのでしょうが、
エンタメ的にそれを楽しむ以外では、
あまり健全とは言えないのではないかな、
と思います。
セッションやプライベートなど、
様々な場面でそうなっている方に
指摘をしたことがありますが、
当人は指摘されるまで、
自身のその状態には全く無自覚で、
気付いている方はありませんでした。
とにかく、相手を失うまい、
相手にとって、自分が特別な存在であるように、
相手から自身の心の隙を埋めるようなものを
得ようと、必死なのです。
もし相手が、そのようなあなたの在り方を
助長するような態度を取るならば、
あなたは嬉しいかもしれないけれど、
それは共依存で、その関係は最終的には、
決してあなたを幸せにはしないでしょう。
一方、もし相手があなたのその執着を
拒絶するならば、割とその人は
まともと言えるかもしれません。
自分で自身を支える自分軸を持っている
人ならば、共依存的な関係性は、
決して心地良くは感じられないもの
だからです。
相手も自分も、
きちんと自分軸を持ったところから
向き合い、対話できると良いですね。
そうしたら、
誰も犠牲にならず、加害者にせず、
自分自身の人生に責任をもって
生きることができるでしょう。
まずは、自分自身のために。
あなたの人生に、祝福を。