日常の中で、現実ではないストーリーに
ぐっと入り込んで、あたかもそれを
真実のように体験するときがあります。
たとえば、
ゲームをしたり、映画を見たり、
お芝居を見たりしたときなんかは、
意識的にそういう体験を求めて
楽しんでいますよね。
でも、私たちは自分でも無自覚に
意図せず現実ではないストーリーに
入り込んでしまうことが、
よくあります。
これから
すごく苦手なお客さんのところに行って、
プレゼンをしなければいけないとき、
行く前にあれこれとネガティブな妄想を
掻き立て、憂鬱になっているとか、
いつも会う知人がいつもと違って
なんだか対応が冷たくよそよそしいと
感じるとき、何か自分が失礼なことを
してしまっただろうかと不安になるとか、
健康診断の数値が引っかかって、
再検査の通知が来た時に、
そういえば最近、ずっと不調だった
内臓が急にしくしく痛み出して、
よもやこれは悪い病なのではないかと
悪い妄想ばかりが浮かんでくるとか。
もちろん、ポジティブな方の妄想も
ありますが、そちらは幸せなら
それで良い気もするのでここでは
置くとして、
ネガティブな妄想にはまっている人を
傍から見ると、そこにはありもしない
モンスターや地獄に怯え、虚空に向かって
石を投げているかのような姿を見ることが
あります。
当然これは、私自身もそうなっているときが
あるという前提の話なのですが、
自分自身がその状態になっているときって、
なかなか気づけないですよね。
けれど、傍から見ると、
地に足がついておらず、幻想を見て
的外れなことをしているのが
明らかに見えるのです。
おい!目を覚ませ!
ここにはそんなものはいないぞ!
何をしているんだ!
と呼びかけて、はっと正気を取り戻せれば
良いのでしょうが、
深く幻想にはまり込んでいると、
意識は夢の世界を彷徨いながら、
なかなか現実世界に戻ってこれません。
本人にとっては、
それがものすごくリアルな真実
に感じられるから、
何を言っているんだ!
そこにモンスターがいるだろう!
このままじゃ、自分もお前も、
あいつにやられてしまうぞ!
と、血走った目で言い返されるかも
しれません。
深く目覚めた意識のマスター
レナード・ジェイコブソンの教えを
学ぶ人にとってはお馴染みの
有名なスーツケースの話があります。
ある女性が、夢の中でスーツケースを
なくしてしまったのです。
彼女は必至でそれを探し回りましたが、
どうしても見つかりません。
そのときに、現実世界で
近所の道路を走っていたトラックが、
大きな音でクラクションを鳴らしました。
その音は、彼女を夢から
目覚めさせかけました。
けれど、夢から覚める直前で、
彼女はまだ自分がスーツケースを
見つけていないことを思い出し、
再び夢の中に戻っていこうとしたのです。
夢から覚めれば、彼女は
スーツケースなどなくしておらず、
それを探す必要など、どこにもないのに。
私たちの生きる世界は、
様々なトラップがそこかしこにあって、
気が付くと夢の世界に引き込まれ、
ありもしない恐いものをたくさん見せられて
右往左往、踊らされてしまいます。
レナードは、人生はこの瞬間にある
といつも言いますが、
その真意を理解するのは、
本当にこの瞬間に生きていなければ
なりません。
彼の言うこの瞬間とは、妄想や
夢の世界のことではないのです。
完全なリアリティの世界。
過去も未来もなく、
ただ、ここに在るものがすべて。
神がおわすところ。
思考のない、静寂の世界。
私はまだ、妄想のモンスターと
戦っているだろうか。
夢の中でなくしたスーツケースを
探し続けているだろうか。
リアルな世界を、生きているだろうか。
気付いて、戻る。
その繰り返しです。
悪夢をもっと良い夢に
変えようとする戦いから離れて、
ただ、この瞬間の祝福に
安らぐことができるように。
今日も、良い一日を。