「40歳になったら、
人は自分の顔に責任を持たねばならない」
とは、第16代アメリカ合衆国大統領の
エイブラハム・リンカーンの言葉
だそうですが、
確かに顔は、自分がどう生きてきたのか
という軌跡が、誤魔化しようもなく
刻まれ、表れてしまうところですね。
不平不満を言いながら、
毎日をクサクサした気持ちで
責任転嫁をしながら生きていれば、
品性のない、卑しさが滲み出てきます。
反対に、日々を正直に、誠実に、
誰にも責任転嫁せず覚悟を持って
生きていれば、
おのずとその清々しい心の在り様は、
品性のある面構えを作っていきます。
顔の作りの話ではなく、
何か微妙な表情やしぐさだったり、
声色、呼吸の仕方や、目に見えない
何かを無意識に読み取って
印象を受け取っているのでしょう。
そうしたものは、
長い間の積み重ねで作られるものも
ありますが、ごく短期間に、時には
一瞬で変わってしまうこともあります。
セッションの前後でも、
すっきりとされただけではなく、
随分と頼もしい、しっかりした
良いお顔つきになられたな、
と感じることも、よくあります。
そういうときは、
お帰りになる際の後姿を見ると、
全然違うんですよね。
エネルギーの通り方も、
放っているオーラも、ご本人には
あまり自覚はないかもしれませんが、
数段、人間的に成長されたような、
品格のようなものを感じるのです。
そこには、
不安げに誰かの承認を求めていたり、
注目を引いて人のエネルギーを
奪い取るようなことをしなければ
自分を満たせなかった弱い被害者
の姿はどこにもありません。
そういう方たちは、
元々無力で無価値な弱者だったわけでは
ありません。
ただ、何かの拍子に
己を見失い、自分の中に力があることを
忘れてしまっただけなのです。
私がセッションでしていることは、
混乱の中で見失った自分自身に戻る
方法を誘導し、本来の力を思い出す
サポートをしているだけなのです。
自分の人生を生きるのに、
外部のエネルギーを収奪、搾取し、
貪る必要はありません。
そういうことをしている人は、
多分、自分本来の力を見失って
いるのではないかな、と思います。
パワーに溺れ、誤用する人は、
搾取したりエネルギーを
貪る人に多いような気がします。
力の誤用のテーマについては、
これまでにも度々書いてきましたが、
このテーマの根底には、
無力感や無価値感などの心の穴
みたいなものが必ずあります。
つまり、この心の穴を埋めようとして、
不当な手段で不当なエネルギーを
貪ってしまう衝動が起こるのです。
だから、正しく力を使うには、
この穴を自分自身で正しく塞ぎ、
埋める必要があります。
自分には、既に十分な力があり、
満たされているという確信が、
心の飢餓感を癒し、暴走を止めるのです。
それが完了していないと、
どうしても暴走するか、しないで
理性で止めているとすれば、
何かしらの形で戒めが必要です。
この戒めを逆に読めば、
そこには必ず、暴走するエネルギーが
眠っているということを示しており、
何かの拍子でこれが暴発する可能性が
無いわけではないと言えます。
だからセッションでは、
戒めが必要のない状態になるよう、
抑圧しているエネルギーを統合する
ところまで導くようにしています。
このようにして、
不当なエネルギーを貪る必要がない
状態になると、その人は穏やかに、
自身の内なる力を感じ、適切にそれを
行使するようになります。
もう責任転嫁をする必要もないし、
哀れな被害者になる必要もありません。
自分の責任において、自分の力を
適切に行使できるその人の心は、
とても自由です。
無力感や無価値感に対峙するのは
確かに苦しく、恐いことかもしれませんが、
これらにきちんと対峙できる自分である
ということは、何よりの恩寵をもたらします。
今の自分の面構えはどんなかな?
と鏡を見ながら、対峙すべきものに
対峙できている自分かどうか、
ぜひ振り返ってみてください。