私たちは人生で様々な出来事を
体験しますが、中でも、
心身ともにダメージのキツイ
出来事ってありますよね。
なぜこんな目に遭わなければいけないのか、
すごく落ち込むどころではない体験
になることもあるわけです。
体験、というと一時的なものを
イメージしますが、たとえば
この親、家族の下に生まれてくる
というのも含まれます。
セッションをお受けになる方は、
一時的な人生のイベントで
すごく悩まれてご相談される方も
ありますし、長年の家族関係などで
ご相談に見える方もあります。
いずれにせよ、
様々な方を見てきて思うのは、
逃げられない環境や条件で、
どうにも苦しい体験をする方は、
この人生で絶対に逃げたくない、
越えていきたいという課題を
そこに設定しておられることが
しばしばあります。
ときに、それは人生を通しての
壮大なテーマになっていたりするのですが、
人間目線で見ると、確かに恨みや憎しみ
とさえなっても仕方がないだろう
と思えるものでも、
深く掘り下げていったときに、
そんな真意があったのか!と
驚くような魂の愛が隠れている
ことがあります。
起こってくる出来事というのは、
その人が頑なで、気付きから遠いほど、
重く深刻なものになりがちです。
柔軟に気付ける状態であるならば、
そこまでの体験は必要ないからです。
ということは、
きつい人間関係や深刻な出来事は、
そうまでしないと気づけない何かを
表していると言えます。
たとえば、詐欺に遭ったとして、
数万円の損失を被ったとしたら、
痛かったけれど、今度から気を付けよう
等と思って大して在り方も変わりもせず、
これまでのように生きてしまう
のではないでしょうか。
一方で、数百万の被害額だったとしたら、
もっと自分自身の在り様について、
真剣に振り返るでしょう。
金額はその人にとって、
どのくらいのものであったら、
本人が己を振り返るか、というまさに
そのピンポイントの額なのです。
魂は、本当によくわかっているんですね。
なぜこの出来事を経験しなければ
ならなかったのか。
なぜこの人に出会ってしまったのか。
その出来事、その人でなければ
ならなかったんですね。
セッションでも、良く相手のことを
ミソクソに言う方があるのですが、
そのように言っている本人が、
まさにその相手と全く同じ要素を
持っているな~というのを
見せられることもしばしばです。
気付いていないのは本人のみ。。。
これが鏡の法則なのですが、
鏡は、本人にとって見えない死角を
写すものだけれど、
死角が深いほどに、なかなかに
気付くことは難しくなります。
その人にとっては、
頭がおかしいのは相手の方だと
見えてしまう視点に固着している
わけですが、
傍から見ると、気持ちが悪いほどに
相手の行い、感性、考え方などが
本人とぴったり重なるんですね。
そしてその一致するところは、
本人が最も忌み嫌うところ、
自分にあってほしくはない要素なのです。
面白いことに、これは
ポジティブと思える要素についても同じで、
相手の素晴らしい資質を妬んでいるのに、
それを自分が受け入れていない、むしろ
拒絶してすらいることもあります。
そんなにポジティブな要素を
拒絶するだろうかと不思議に思う
かもしれませんが、
たとえば、美しかったがゆえに
ひどい目に遭ったとか、
裕福であったがゆえに、
妬まれ、だまされた等の体験で、
そうした資質を拒絶するように
なっていることもよくあるパターンです。
固着した視野を柔軟にするのは
なかなかに難しいかもしれませんが、
相手の素晴らしい資質を、あるいは
ネガティブな資質も、まずは
完全に受け入れられなくてもいいから、
祝福してみてはいかがでしょう。
この体験が、この出会いが、
自分に何かを気づかせようとしているなら、
私にわかるように気付かせてほしい、
と願いつつ、祝福を送るのです。
嫌な思いをした、と切り捨て、
忘れようと封印するのではなく、
余さず、自身の糧とするように。
魂の設定した学びをしかと完了させ、
変容した自分として飛躍されますように。