残心という言葉があります。
芸事などで、技を決めた後も
気を抜かないことを言い、
例えば、剣術の試合などで
相手を倒した!と思って気を抜いた瞬間に
完全にとどめを刺せなかった相手が
復活して斬りかかってくる、みたいな
シーンをイメージしてみてください。
終わったと思って油断していると、
復活した敵にやられてしまいます。
そういうことがないように、
決まった!と思った後も心を残しておく、
つまり、油断せずに意識を途切れさせない
という戒めが説かれるわけですね。
そういう命のやり取りでなくても、
ヨガでも舞踊でも、演劇や演奏など、
あらゆる芸事において、
本番が終わった後にその演者が
どのような振る舞いをするかで、
結構その人物の力量なんかが
見えてくるな、と思うことがあります。
見せているときに素晴らしいのは
ある意味、当たり前で、
見せていないところに普段の生き方、
心の在り様などが無意識にも
出てしまうのです。
昔、子供のころに
良く家のあちこちのドアや扉を
開けっ放しで行くと、親に
そういうのを「バカの開けっ放し」
と言うんだ、と叱られたものですが、
確かに、そういうところで
ちゃんと閉められない心の在り様は、
間抜けなんだと思います。
一事が万事、そういう在り様のまま
大人になって仕事をしている人は、
始末がきちんとできない人でしょう。
自戒を込めて、ですけれど。
で、前置きが長くなりましたが
ここからが本題。
感情解放ワークのセッションや
セルフワークで、一つのテーマが
統合された後、最初の場面に戻って
体感覚や気持ちの変化などを
チェックするのですが、
思いのほか、チェックが甘い人が
多いんですね。
確かに、私の方が捉えている
エネルギー領域が広いというのも
あるのかもしれませんが、
(一応プロなので(^^)v笑)
解放されて意識も緩むせいか、
まだ残っているものに気付けないとか、
スルーしてしまう方が結構あります。
そういう方の意識を読んでいくと、
見ているのに気づけない
というよりは、
完全に、見ていないから気づけない
ことがほとんどです。
つまり、残心がない、
もういいだろう、もう大丈夫だ、
と油断して、意識が途切れているのです。
本当に残っているものがないのなら
良いのですが、残っているのに
見ていないのは、また別の話。
そういうのが詰めの甘さになります。
もちろん、延々ワークを続けられる
わけではないので、残っているのは
確認したけれど、今日はここまで、
と締めるのはアリです。
こういうところで、
しっかり残心ができる在り方を
していると、ワークの深さが
格段に違ってきますね。
芸事でもなんでも、
芸そのものが未熟だったとしても、
そういう心の持ち方ができているだけで、
格がぐっと上がってきます。
そして、上達の速さも違ってくるでしょう。
達人の芸をよく観察してみてください。
一流以上の人で、残心のない人は、
おそらく一人もいないでしょう。
何をしているときも、
ぜひ、残心ということを心に置いて
過ごしてみてください。
ただ、余談ながら私の解釈だと、
残心は緊張とは違うように思います。
だから、
常に残心を意識すると言っても、
それは常に緊張しているということ
ではありません。
さて、この日常の中での残心を
いかに体現していくか。
各々、探求されますように。