人間というのは、
やりたいことをするよりも、
やりたくないことを止めることの方が
難しいものだな、と思うことが
ありました。
やりたくもないことなら、
さっさと止めてしまえばいいのに、
止められないのには、そこに
何かしらの恐れが絡んでいます。
止めてしまったら、
起こってしまうであろうその現実を
どうしても受け入れられず、
なにがなんでも避けなければ!
と思うからこそ、止められないのです。
つまり、それを避けるためならば、
この程度のやりたくないことを
我慢する方を選ぶ!と本人が
選択していることになります。
ただ、冷静に振り返ってみれば、
この選択が割に合うものなのかどうか。
大抵は合わないにもかかわらず、
負担の大きな選択を
ボロボロになりながらしていることが
多いような気がします。
なぜそんな錯乱した選択を
してしまうかと言うと、
一つは、本人が自分の恐れを
過大評価していること。
そしてもう一つは、
恐れるその現実に対処する
自分の力をきちんと認識できておらず、
見誤っていることなどが要因として
挙げられます。
たとえば、
子供の頃、私たちは力も弱く、
出来ることも限られていました。
誰かに依存して生きていくしかない中で、
何かをぐっと我慢する選択をするしか
なかったのかもしれません。
小さな子供にとって、
大人や現実世界はとても大きく、
抗えるものではなかったでしょう。
けれど、今自分が成長して、
子供の頃よりはできることも
ぐっと増え、力もついてきました。
かつて我慢していた状況も、
前提条件は大分変わっています。
けれど、そうした諸々の前提条件の
アップデートが為されないまま、
我慢する選択を変えずに、
未だに同じパターンで反応している
ことがあるんですね。
現状とそれに対する自身の認識が
正しくなされていないが故に、
自分に要らぬ制限をかけていること、
結構あるんじゃないかと思います。
私たちは、日々成長もするし、
できなくなっていることも
あるかもしれません。
毎瞬、この自分でこの現実に
対峙するのに、同じ自分は二度とありません。
昨日も今日も明日も同じような
自分の認識でつい、居てしまうけれど、
自分自身の限界のエッジがどこなのか、
知っておくのは結構大事なこと
だと思います。
その上で現実に向き合った時、
変えられない、できないと思っていた
そのことは、本当にできないのか。
何がネックになっているのか。
動かせる余地は無いのか。
あるいは、できないと思って
動かない方が都合が良いから
自分でできないことにして
おきたかったのか。
その辺りにも、
自分の本音が絡んできますね。
やりたいけれど、、、
と思っていたことは、実は
それほどやりたいことでもなかった
のかもしれないし、
何か、もっと違う要因が絡んでいて、
それではない、あるいは、
今のタイミングではないということ
なのかもしれません。
自分がなぜ動けないのか、
このようにして注意深く見ていくと、
ただ動けない、だけではなく、
心の奥深くにあるものが
意識化できます。
本当に止めたいことがあるならば、
そのために、何を自分にしてあげられる
だろうかと、少しでもできることを
実行してみましょう。
その少しの行動が、
自分に次の一歩を踏み出す
力を与えてくれます。
そしてまた次の一歩、
そのまた次の一歩と、実際に少しでも
自分の望みを叶えるための行動を
起こしていると、自尊心が養われます。
自分を大切に思い、信頼する気持ちが
育っていくのです。
なぜなら、ちゃんと自分自身に
応えているからです。
できない、やらない言い訳をするよりも、
できることがあるならする、
やらない選択をするならば、
言い訳をしてごまかすのではなく、
筋を通してやらないと決める。
こういう少しずつの日々の在り方で、
人生のモヤモヤが減っていきます。
有限なるこの人生、
本当に自分が心の底から喜ぶ生を
生きていきましょう。