今年も半分を過ぎて、
いつもだったらとうに忘れている
今年の抱負とやらを改めて
振り返ってみました。
今年は、新しい体験を
週に1度はするというのが
目標でしたが、
うっかり忘れてしまった時もあれど、
概ね意図するところは達成できている
のではないかと思います。
そのおかげか、随分と日常の質感や
流れが変わりました。
新しく始めた色々なことが契機となって、
また別の世界が広がって行ったりして、
なかなかエキサイティングです。
そんな外側の流れとともに、
内側でも思うところがあり、
今までやったことのない選択を
してみようと思いました。
それが何かと言うと、
今まで、そう簡単に赦せない!とか、
そう簡単に癒えてなるものか!とか、
変わってなるものか!と
しがみついていたことを、
無条件に、簡単に赦してみよう!
簡単に癒えてしまえ!
簡単に変わってしまおう!
という具合に自分を変えよう
と思ったのです。
私は結構根に持つところがあって、
すごく嫌だったとか傷つけられたとか
そういうのをいつまでも抱え込んでいる
ところがいまだにあります。
そういう自分も、まぁ随分やったし、
今度は違う自分を体験してみよう!
ということで、今までやって来なかった
これらをやってみよう!と思ったのです。
それは、自分で決めて、
選べることなんですよね。
そこに至るまでのプロセスとか
絶対に通過しなければいけない
ポイントすらも、本当は、
自分で決めているんです。
そこが本当に分かると、
それすらも自分で決めて、
変えられるのです。
ただし、自分で決めるということが
本当に分からないと、いくら
そうしようと思っても、
空回りするだけです。
ここが大事なポイントですね。
それができるところまで、
私もやっとたどり着いたのかな、
と思います。
許せないと思っていた出来事、
相手を思い、対峙しながら、
無条件に、簡単に赦してしまう。
自分の感情を抑圧するのでも
切り捨てるのでもなく、
ただ事実を在るがままに認め、
赦すだけです。
その出来事を軽く見る必要もないし、
解釈をすり替える必要も
ありません。
相手を蔑んで、収まらない気持ちを
収めることもしません。
被害者意識に溺れることもしません。
ただ赦す。
それだけのことが、これまで
どうにもできなかったんですね。
赦してなるものか!と苦しみ
悶えながら、どれだけ来たでしょう。
赦せなかった自分から、
赦すことのできた自分を体験してみると、
何と軽やかで、透き通っているのでしょう。
自分がこだわっていたものを、
簡単に変えてしまおうと決めたら、
簡単に変わってしまうことが
できました。
これは変えられない、と思っていることは、
実は、変えたくない、と自分が
決めていることなんですよね。
できない、ではなく、やらないと
決めているのです。
自分が決めているなら、
それは自分の責任において、
決め直すことが出来ます。
これが、自分がやっているという
当事者意識が持てず、被害者意識だったり
他人事であったりすると、それを変える力、
権限は無自覚にも放棄されたままです。
自分が自身の人生の創造者である
という意識を、どこまで実感を持って
認識できるかが、
この言葉を体現できるかどうかの
違いなのだと思います。
半期が過ぎたところで、
面白い体験と変化を経験できたので、
後半もまた、楽しく新しい自分を
たくさん体験して行こうと思います。