人によって、気づきの感性・感度は
本当にそれぞれだなぁとしみじみ
思うのですが、
1,2,3の目盛りの人もいれば、
50刻み、100刻みの人、あるいは、
0.1刻みの人もいます。
当然、100刻みの目盛りの人は、
0.1単位の微細なレベルの変化や
兆しは読み取れません。
セッションを誘導していて、
エネルギーをかけ、呼吸を通して
統合作業をしていく中で、
変化があったのか無かったのかを
答えていただく質問を繰り返し
するのですが、
私から見ると、
かなり変化があったように見えても、
ご本人の認識では全く変化が
読み取れていなかったりする
ケースがあります。
先ほどとは微妙に何かが違う
ということが読み取れれば、
それだけでも十分なのですが、
変化や兆しがまったく汲み取れない
となると、何らかの理由で
相当に感じる感覚が鈍っているか、
封印されている可能性があります。
繊細な感性を持っているよりは、
近年では鈍感力なんて言葉もあるように、
感じないで生きていた方が楽、
という都合もあったりするのでしょう。
けれども、その状態で居ると、
他人の感情の機微どころか、
自分自身が一体何を感じているのか
さっぱりわからないので、
本当だったらすぐに気づいて
悪くなる前に対処できるはずのことが
対処できなかったり、健全な人間関係が
築けなくなったりします。
だから、繊細な感性を持って生きるのが
辛いのであれば、感性を閉ざすのではなく、
感性を開いていても十分に対処でき、
自身の精神を健全に保って生きていける
力を養う方が、人生は豊かになると思います。
実際、みずみずしい喜びや感動を味わう
感性がふさがれているので、必然的に
人生は味気ないものになってしまいがちです。
そうなっていることにも気づけないくらいに
それがデフォルトになっていると、
どこか人生を生きている現実感が
感じられなくなるのではないでしょうか。
思考優勢で感じることを
あまりしなくなってきている現代人は、
もっと意識して自分の心を揺さぶるものに
触れに行く機会を持つことは
大事ですね。
不安になったり、ちょっと傷ついたり、
悲しんだりイライラしても、
大丈夫です。
私たちには、
そういうネガティブな感情を感じても、
ちゃんと昇華させていく力が
備わっているのです。
ただ、
それをどうやって引き出したら良いか、
わからずにいるだけなんですね。
過去の嫌な体験できゅ~っと
委縮してしまった心も、
緩んでのびやかに活力を取り戻すことは
できるのです。
そうして、少しずつ固く委縮した
感じる感覚を取り戻していくと、
まずは、自分が何を感じているかが
わかるようになります。
たとえて言うなら、
今まで鼻をつまんで臭いを嗅がない
ように生きてきたけれど、
臭いを嗅いで、わかるように
なってくるようなものです。
と同時に、何が臭いもので
何が香しいものなのか、
わかるようになりますね。
さらに、臭いの元がどこにあって、
それに対してどう振舞うべきなのか、
自然と行動に繋がっていくでしょう。
恐ろしい悪臭には、
直ちに撤去するなど対処が必要なことも
あるでしょうし、逆に近づかない、
遠ざかるのがよいこともあります。
一方で、得も言われぬ香しい香りが
漂っているのであれば、自然、
意識はその元を辿り、美しい花を見つけて
うっとりと愛でるひと時を過ごす
かもしれません。
感じる感覚が閉じているというのは、
ある種の体験を拒絶している
とも言えます。
そうなるにはそれなりの経緯が
あったのでしょうが、
もしその封印を解きたいと
願うのであれば、
自分がかつて拒絶したその体験が
いかなるものであったとしても、
受け止めるという姿勢ができているか
どうかがカギになってきます。
具体的にそれが何なのか
わからなかったとしても、
肚を決めて対峙する体勢を取ることは
可能です。
今の自分は、
その姿勢ができているのか
いないのか。
逃げ腰ではなく、
本当に向き合える体勢になっているのか、
自分の在り様を確認してみましょう。
本当に向き合えているのなら、
その封印をいかにして解いていくのか
その道筋は自ずから示されるはずです。
わからないのなら、
本当には向き合えていないのです。
封印を解くのも、究極のところは
在り方ひとつ、なんですね。