本当に欲しいものを
素直に欲しいと言うのは、
出来る人にとっては
何てことない、当たり前のこと
なんだけれど、
出来ない人にとっては、
喉をぐっと詰まらせて、
どうしても言えない、
苦しいことなのだな、
ということを思いました。
私自身、どこまでそれが
できているだろうか、と思うと、
まだまだ言えないことがあります。
それを無いものという前提で
過ごしてきた時間があまりにも長く、
またそれが叶わないことに
苦しみ疲れたせいかもしれません。
心の奥に、そんな諦めが重く沈んで
自分がそもそも一体何を望んでいたのか、
思い出せなくなっているのです。
そしてまた、それが何かを
思い出したとしても、
欲しいとも思えなくなってる
自分もいたりします。
その深い諦めの感覚を
じっと辿っていくと、
生木を引き裂かれるようにして
大切なものを失った
別の人生の記憶が出てきました。
いや~、これは痛い。
本当に心も痛いし、体も痛い。
そういう生々しい感覚が蘇ってきて、
こんなものを持っていたのでは、
確かに願うこと自体、難しいのは
さもありなん、と納得でした。
しばらく、その感覚を
じっくりと味わい、受け止めていましたが、
まさに内臓の血の気が引くくらいの
感覚でした。
以前から、心の奥深くに
ものすごく深い悲しみがある
ということは分かっていて、
何度かアプローチしたことが
ありましたが、
どうやっても届かなかった感覚に、
やっと触れられたようです。
通常、セッションだと
このようなストーリーの結果に
至る前に、別の世界線の分岐点を
探って、転換していくという
手法を取ることが多いのですが、
それも見いだせず、
どうやっても避けられない結末
のように感じられました。
避けられないのなら、
受け止める以外に道はありません。
永遠に失ってしまったもの、
永遠に戻ることのない、
変わってしまった人生を
引き受けて生きるのです。
かつての私は、
受け止めきれず、死んだように
生きていましたが、
受け止めて生きるには、
まだえぐれたハートが固く、
うまく機能できていません。
けれど、自分の為すべきこと、
方向性が定まったので、
あとは自分を被害者にすることなく、
腐らず、自分の人生の責任を
果たしていくのみです。
そうして、逃げずに引き受けるものを
引き受けて行ったとき、
ハートも少しずつ癒えて、
多少は軽くなる感覚がありました。
そこで改めて、願望が叶うところを
イメージしてみましたが、
少し感触は変わったものの、
まだまだそれが叶うことを望む
ところはでは程遠い感じでした。
では、本当に望んでいないのだろうか、
と問うと、ふとした時に、
深い悲しみの反応が出てくる感じ
があるので、望んでいないわけではない
のだろうな、というのはわかります。
そのときの、胸の奥の重苦しい感じ、
隕石がぶつかったかのような
ショックの感覚をじっと捉えていくと、
別の微妙な感覚が浮上してきました。
命の根っこを強烈に抑えつけられている
かのような封印の感覚。
何だろう、これ?
と思いながら辿っていくと、
自分で自身の命の息の根を止めるような
ことをしているようでした。
その感覚が見つけられたのは幸いでした。
早速その封印を体の奥深くから
サルベージするように引き上げて
行ったのですが、
そのときに、かつて自分がどんな思いで
そうしたのかという感覚が
浮上してきました。
全てを終わりにしようとしたのだな、と。
多分その人生では、戦士とか闘う人で、
立場ある男性だった気がします。
自分個人や背負ったものの歴史や思い、
諸々の全て一切合切を、ここで断つ。
そう思って終わりにしたのでした。
かつて、終わりにしたものがあった
ということを認めたことで、
私の中で、断絶していた魂の断片が
繋がった感覚がありました。
魂の、遠く古い記憶に
血が通うようにエネルギーがじわ~っと
流れていくのを感じます。
呼吸が深く、通っていきます。
と同時に、奥の方で沸々と何かが
動き始めたのを感じているのですが、
これはまだ別の機会に見ていく
ことにします。