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何だか最近、わかりやすい
感情の構造的なところを書こうとしても、
いつの間にやら奥深いところの
在り様のことばかり書いているな、
と自分のブログを振り返って思います。
本当は、もっとわかりやすい記事を
書いた方が、より多くの方に
響くのだろうとは思うものの、
いかんせん、今は私の意識が
そちらの方にどうやっても向かない。笑
まぁこれまでだって、
好きなことを好きなように
書いてきましたからね。
だから続いてるんですけれど、
このスタイルは変えられないでしょう。
感情のことをもう少しわかりやすく
知りたいという方は、過去記事を
検索して見ていかれると、
色々書いていると思うので、
そちらを参考になさってみてください。
毎日欠かさず書き続け約15年、
このブログは私の内的探究の足跡
そのものが、刻まれています。
日々揺らぎ、迷い、見つけ、問う
ということを続けてきての、今ここ。
私はいつも、導きが自分をどこへ
連れて行こうとしているのか、
全く知らぬまま、
ただ自分の意識が及ばぬ深淵さと
言いようもない神聖な意図を感じて
その指し示す方に、ひたすら
歩み続けてきました。
多分、自分の頭だけで歩んでいたら、
あちこちに頭をぶつけ、事故に遭い、
怪我をして病んでいたと思います。
今でもつつがなく仕事をし、
暮らしていられるのは、
導きのお陰です。
人は、先行きの不安から
未来のことを知りたがり、
安心安全であることの確証を
求めます。
けれど、
本当に求めるべきは、
そこじゃない。
導きは、しばしば
安心安全に安住するよりも、
勇気と気力を振り絞って
行動する覚悟を求めることもあるし、
常識や良識とは正反対の方向に進めと
導くこともあります。
そんなことをしたら、、、
と不安に一杯になる中でも、
ざわつく胸の奥で、静かに、
厳然たる確かさをもって
呼びかける感覚があるのです。
これが、表面的な欲望から来る
ワクワクの興奮や、惰性や恐れから来る
偽りの平穏への執着とは違うところです。
今の自分がしっくりくる方向に進むと、
それは頭で考える方向とは全然違って、
どうやっても折り合いをつけられる
ような状態ではありません。
ということは、
頭の方向は完全に捨てて、
ただただもっと深いところの感覚に
全集中していくしかありません。
それに、頭が抵抗するんですね。
いやはや、しちめんどくさいですね。笑
中途半端なところにいるから、
頭の抵抗のノイズを受けるんですよね。
この際、振り切ってしまえ!
ってことで、肚を決めます。
不可逆的に。
不退転の決意で。
と思ったところで、
気づいたことがありました。
今はこの方向に進んでも、
まだ大丈夫。でも、もしこの先
ダメだったら戻ればいいや。
って、思ってたんですね。
それは違うのです。
戻る道は、無いのです。
不可逆的な変化だ、
と思っていても、どこか逃げていた。
だから、決められなかったんだな、
とわかりました。
わかったところで、
逃げ道を断つ。
(頸を斬ることの、一つの意味はこれ)
ただ、前だけを向いて駆ける。
流れが変わる。
自分の周りの空気が変わる。
導きを辿る感覚を
最大限に研ぎ澄ませていないと、
容易に迷い、飲み込まれてしまいそうな
混沌としたエネルギーの中、
ただ、自分の中の必然の感覚
だけを頼りに走ります。
意識の上では、
もはや歩いている感覚ではないのです。
かつて、そうやって
生きていた時代がありました。
どれだけ遠くに居ようとも、
誰も知らせに来なくとも、
誰に教えられなくても、
必然のときに、必然の場所で、
必然のことを為していたのです。
すべて、自分の中に映る
神聖な宇宙の地図に従って。
今からは、そちらの意識で生きていく。
深く、宇宙の意図を
この体に映していく、と。
そこにぐっと集中して行こうと思います。