誰にでも、そこは突かれたくない!
という急所というか、弱いポイント
があると思います。
人の心を掘り下げていて、
核心の方に近づいていくにつれて、
ものすごく抵抗が激しくなる
ことがあるのですが、
自分の本当の姿に直面するのは、
なかなかに勇気が要るし、
知ってしまってすぐに
方向転換できるかというと、
必ずしもそうではなかったりします。
ちゃんと向き合って、
自分の真実を受け止めて行くぞ!
と思っている人でも、
核心に触れる直前で、
強烈に抵抗してブレーキをかける
ケースもあります。
抵抗の一番の原因で多いのは、
変化への恐れでしょうか。
そうした恐れを持っている方が
よく言うのは、
何をどう変化したらいいのか
やり方がわからない、というのと、
自分にできるのかどうかわからない
ということです。
確かにもっともらしい言い訳では
あるのですが、
では、それが
わかったとして、できるとして
あなたはそうしようと思うだろうか?
と問うと、大体そこで思考停止なんですね。
このパターンになるときは、
この質問や言い訳の内容が
どうこうというよりも、
深いところでその人自身が
その方向へ向かうことを
止めている、ということなのです。
顕在意識レベルではどう思っていようと、
それ以上は知りたくもないし、
直面したくもない、
ということなんですね。
本当は、その先に進むと
自分が何を知ることになるのか、
どういう選択を迫られることになるのか、
深いところでは知っているのです。
本当に知らないのだとしたら、
じゃぁ取り敢えず見てみて、
やってみてどうなのか確かめてみよう!
となっても良いはずですからね。
絶対に進まない、進めないように
踏ん張っているという時点で、
自分はこの先何があるか知っている
ということを図らずも
証明してしまっています。
こうなると、
それ以上は掘り下げていけないので、
今その人が向き合える範囲で、
別のアプローチを探っていく
ことになるのですが、
そうした別方向からのアプローチが
ある程度功を奏して、
核心に再度挑戦してみると、
今度は突破できた!ということもあります。
その回のセッション内で
抵抗が解消されるケースもあるし、
結構時間がかかるケースも
あったりします。
その人の向き合うことへの切実さ
によって、時間のかけ方は
それぞれですが、
その方の人生に伴走させていただく
身としては、私の都合で進めていく
わけではないので、
注意深くその方の様々な要素や状態を
見計らいながら、タイミングや
方向性を探っていきます。
本当に人の心は複雑で、
自分の心でありながら、
本人が思っているようなもの
ではない働きをすることが
よくあります。
自分はこう心に決めている!
と思っていても、実際は
そのようには全然なっていない、
ということに、
本人が気づいていないし、
そんなことがあるとは露とも思ってない
という方もあります。
まずは、心の中にも本音と建前があって、
きれいで上品な建前の奥で、
本音は全然別の方向を向いている
ことがある、ということを
注意深く自分の心を観察していく中で、
本人が実感して知っていくことが
肝要です。
これ、わかっているようで
わかっていないんですよね。
これがわかると、
自分は今、そのものごとに対して
どこまで覚悟が出来ているのか、
準備ができているのか、
というのがわかるようになります。
向き合い続けるギリギリの意識の中で、
揺らぐ心、迷い、ふっと途切れる意識など
気づくでしょうし、
その状態で、どこまでのことが
可能なのかもリアルな感覚として
わかるでしょう。
このことから言えるのは、
自分にできるかどうかわからない、
自信がないという言葉は、
すなわち、そもそも自分にとって
リアルな選択肢としてそれに
向き合ってもいないということを
意味しています。
その方向に進みたいと思っています、
と言った人にとってこの言葉は、
何となく行けたら良いな、と
夢を見ている状態でいたいのです、
と翻訳できるでしょうか。
その状態が心地良いなら
何ら問題ありませんが、
そうではないのなら、
自分が何を求めているのか、
本当のところを知るということが
大事ではないかな、と思います。