桜が待ち遠しかった4月も
気が付けばあっという間に過ぎ去り、
ゴールデンウイーク真っ只中。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
私は例年、この時期は普通に
仕事もあるのですが、
趣味の家庭菜園の種まきやら
プランターの植え替えやらで
腰を痛めるというのが
恒例になっております。(^^;
気を付けてやってはいるのですけれどね、
大量の土を運んだり、あれこれしていると
あぁ、またやってしまった。。。と。
特にこの春は、空いているスペースに
目一杯プランターを増やしたので、
大変でした。
また秋に同じ作業をするのかと思うと、
我ながら、ちょっと恐ろしい。笑
でも、すくすく育っていく
植物たちに励まされ、
美味しく実りをいただくのを
楽しみにやっております。
ホント土いじり、楽しいです。
畑仕事をしていると、
学ぶことも多くて、また
純粋に生きること、成長すること、
枯れること、種を残すことの
命のサイクルを見ることで、
普段忘れがちな、
命がこの体に宿って
人間をやっているんだ、という
感覚を思い出させてくれるのです。
はじめの頃は、おっかなびっくり
固い種、芥子粒のような小さな小さな
種を蒔いて、本当に芽が出るだろうか?
と思いながら水をやり、お世話するのですが、
その内に芽が出てきて、双葉が出て、
どんどん育っていく様子に
素直に驚きと喜びが交差します。
その内に、どうやったらもっと
育つだろうかと動画やブログなどを参考に
あれやこれやと試すのですが、
病気になったり鳥に食べられたり
台風で折れてしまったり、
肥料がうまく合わなかったりで
試行錯誤します。
毎日、植物たちの顔色を見ながら
水は足りているか、肥料は十分か、
日当たりはどうか、風の通りは良いか、
観察しながら手入れします。
子育てや人生と似ているな、
と思うのは、そこそこ適当にやっていても、
それなりに育つ、ということで、
完璧にお世話できなくても、
植物たちの持っている生命力で
農家さんほど上手にできなくても、
そこそこ育つし、普段のお手入れに
応えてくれるんですね。
そういうのも、物言わぬ
コミュニケーションで通じ合う感じが
嬉しいですね。
不器用でも、それなりに
この世界で命を紡いでいける
ということを思い起こさせてくれるのが
救いでもあります。
今の世の中、常に完全完璧を求められる
プレッシャーの中で生きている人が
たくさんいて、あまりに疲弊し過ぎている
と感じることが多いので。
人生って、本当はそこまで心身を削って
生きなければいけないものじゃ
無いはずだと私は思うのですよね。
もちろん、命のプログラムは
ひとそれぞれで、艱難辛苦を
越えていくことにチャレンジしたい
魂もあるでしょうが、
自分の魂が何に喜びを求めているのか、
頭ではなく、深く深く自身の奥底に
意識を向けて、対話することです。
今苦しい状況に在るのなら、
その苦しみは越えていくべき
何かの課題なのか、
逃れたいと思う気持ちは
ただの逃げなのか、
頭で考えていると、
グルグルしてしまいますから、
頭の都合ではなく、
その答えがどんなものであれ、
受け止める、と肚を決めたうえで、
ハートに心を澄ませてみたらいい。
肚を決めて聞いたのなら、
必ずハートに従うことが肝要です。
とかく私たちは、
都合が悪いことには目をつむり、
耳を塞いで、都合の良い答えだけを
聞こうとしてしまいがちです。
そうすると、人生を導くサインを
生かすことが出来なくなってしまうので、
導きが本当に欲しいのなら、
結果を引き受ける肚が不可欠です。
逃げるな、その苦しみを糧にせよ、
と導きが言うのなら、
必ず道はあるはずです。
また、それは引き受けるべき
試練ではないと言われるのなら、
未練があっても、非難のそしりを受けても
速やかに退き、守るべき分限を守りましょう。
自然の理とともに生きるというのは、
耳触りは良いけれど、生ぬるいことばかり
ではないのです。
ただ、命の尊厳を損なうような在り様は、
本来ではないと思います。
自分にとって、何が道なのか、
それを歪めるものを握りしめていないか、
ものすごく狭い視野で、周りが
見えなくなっていないか、
ドツボにはまりすぎている人は、
少しそこから離れて見る視点も
大事かもしれませんね。
ただただ自身に与えられた
命の本分を生きている植物たちを見るのは、
難しく考えすぎて歪んでしまう
私たちの視野を素直に戻してくれる
ように感じる、今日この頃です。