人生からのメッセ―ジ、お知らせは、
遠いところから段々と近づいてくる、
と昔誰かから聞いて、へぇ~と
思った記憶があります。
どういうことかと言うと、
最初は見ず知らずの赤の他人に
何かトラブルがあったという話を聞いて、
何となく他人事として意識に入ってきます。
その次は、一度か二度くらい
会ったことがあるような遠い知人に
似たようなパターンの出来事があった
と言う話を伝え聞きます。
さらにその後、まさに自分の身内に
そういう出来事が起こって、
それでもサインに気づけないと、
ついに自分に、と言った具合です。
そんな話を聞いて以来、
自分の意識の中に似たような
パターンの話が続いたときは、
気を付けて見るようにしています。
で、最近まさにこのパターンの出来事を
決して遠くはない関係性の中に続けて
見せられて、これは!!と思ったのでした。
突き詰めていくと、両者ともに
その本質が全く同じで、
差し出されているメッセージへの
返答の仕方も同じでした。
う~~~む。。。
これは緊急に見て応答しなければならない、
と思いました。
私はこの人たちと同じ在り方をしている
のだろうか?
しているのなら、認め、転換することに
異論はないし、直ちに実行しようという
気はあるという認識ではいます。
ただ、鏡に映るその人たちは、
そうではないのですよね。
さて、メッセージが差し出しているのは、
一体何のことなのか。
これは両者を比べつつ見ていくと、
案外簡単に輪郭が見えてきました。
ただ、表に表れている両者の態度は、
真反対、でも、本質は全く同じ。
自分の本心に対する肚の括り方も、
よく似てる、というより同質。
けれども、肚を括るのはそこなのか!?
という突っ込みが、今回のお知らせの
ポイントでありました。
詳細は書けないものの、
奇しくも全く同じキーワードが
現れており、図らずもそれ自体が
本質の在り処を示していました。
なるほど、、、と
受け取れば受け取るほど、
奥深いメッセージが現れてきます。
本質を生きるとはどういうことなのか。
私はまだ、それを求めてすらいない。
こんなところで満足していてはいけない。
満足するところ、在るべきところと
認識するもの自体が全く錯誤している。
要は、そういうメッセージなのだと
理解しました。
こんな繊細なメッセージを寸分たがわず
伝えてくる導きと言うのは、いつもながら
なんてすごいんだ!と感嘆してしまいます。
さらに見て行けば、鏡はまだまだ
読むべきポイントを見せてきます。
なぜ両者はそんな錯誤したところで
肚を括っているのか。
私から見ると、不思議でならないのですが、
これもまた自分なのですよね。
じっと鏡を見ていくと、
多分、本質を生きることを
深く諦めているというか、
呪ってすらいるようにも見えました。
絶対拒否、なんですよね。
なぜ?
大切なもののはずなのに、
そんなにも呪わしいものに
なっているのか?
彼らの中では、
絶対に取り得ない選択なのだけれど、
もしそれを選択してしまったとしたら、
ものすごくネガティブな感情が
爆発しそうな気配がありました。
本当に本質を生きる前に、
これらに向き合わねばならない
ということなのでしょう。
なるほど、自今の私が
軌道修正すべきポイントと方向性が
見えてきました。
自分で自身にかけた呪いを解除するだけでも、
すぐに違いが感じられます。
本質を生きることに意識を向けると、
色々なレベルがシフトチェンジ
していきました。
この気づきは、鏡無しでは
起こり様も無かったでしょう。
ホント、鏡大事。
ちなみに、鏡に映る像は、
そこに映っている人たちの真実なのではなく、
あくまで私自身の姿が映っているだけなので、
そこはしっかり区別して見る必要があります。
鏡に映る像を活用して、
大難、大津波が人生に起こる前に、
適切に応答していきましょう。