来週24日(水)19時からの
満月のオンライン瞑想会、
まだまだ絶賛募集中です!
ご都合良い方は是非どうぞ。
さて。
日々、色々あるものですが、
凹むようなことがあると、
それまでの自分の歩みを
全否定してしまいそうになることが
あったりします。
そんなとき、その凹んだ気持ちを
丁寧に受け止めながら、注意深く
自分に向けたその疑いの眼差しを
精査します。
本当にそれらはすべてダメなものだったのか、
良いところは無かったのか、
ダメなところがあったとしたら、
何が原因で、どのように改めるべきなのか。
丸ごと全部放り出すのではなく、
もう少し解像度を上げて、
見ていく必要があるだろうと思いました。
けれど、
気持ちが凹んでダメージを受けていると、
そういうことがなかなかできないんですね。
対峙すること自体が苦しくて
仕方がないのです。
その苦しさをどこまで受け止めて
自分自身に留まれるか。
その苦しさも、よく観察して見れば、
結構年季の入った心のしこりだったりして、
あぁ、またトリガーされて浮上したんだな、
とわかります。
普段は心の奥底に沈んで気づかないだけで、
ずっと存在していたものです。
気づかれなければ、癒えていくことも
できないので、浮上するのは
癒しにとっては必要なことなのです。
そうやって、心は一つ一つ、
重荷をおろして軽やかになって行きます。
感じない、認識しないから無い
のではないのですよね。
ご自身の心に丁寧に
向き合ってこられた方は、
感覚としてわかるのではないでしょうか。
本当に統合が完了していて、
調和しているから問題無くなっているのと、
何か、イレギュラーな方法で
分離したり抑圧したりしているから
問題なく感じられるのとは、
全く意味が違います。
後者の場合は、必ず人生のどこかに
その不調和の兆候が表れ、
それが本当に統合されるまでは
様々な形でお知らせは続きます。
一生懸命向き合い、努力しているのに
どうしても不調和が続く場合は、
その努力の方向性やポイントが
どこかズレている可能性があります。
そこに、どうにかして気づき、
修正しなければなりません。
自分ではやってるやってる!
と思っていても、できていない
と言うのはそういうところです。
そこで我を張ってしまうと、
ドツボにはまっていきます。
どこかに、まだ自分が気づけていない、
見えていない死角があるのです。
肝心なのは、嘆くことではなく、
どうしたらその死角に気づき、
見えるようになるのか、です。
今の在り方では必ず死角になる
そのポイントが見えるような
在り方をすることです。
そういう在り方になるためには、
今までと同じロジックでものごとを
見ていては、できないでしょう。
自分の内に見えなくなっている
それを見るのは実は簡単で、
自身の現実を見たらいいのです。
読み方にちょっとしたコツは要りますが、
それがわかってしまうと、実に明確に
寸分の狂いもなくそのまま現れている
というのがわかります。
一時の心の揺れで、自分から離れ、
見るべきものを見失わないように。
その心の揺れすらも、
差し出された課題であると気づき、
受け止められる自分で在るように。
どんな時も、
昨日の自分より一歩でも半歩でも
歩みを進められる自分で在るように。
中途半端に分かったようなふりをして、
見るべきものに蓋をしないように。
ひどく痛みを伴う出来事が、
どうしても見えなかった死角が見えるように
なるための、重要なパズルのピース
だったりもするのです。
そのピースを拾って、
鍵を開けられるように。
その段階段階で、チェックポイントが
ありますね。
一つ一つ、着実に参りましょう。