鏡の法則を深く理解して、
差し出されたメッセージを受け取り、
応答していくにつれて、現実が
ものすごく変化していくケースを
いくつも体験してきました。
クライアントさんからも、
悪いのは相手だと思い込んでいたけれど、
鏡のメッセージに気づいたら、
まさにこの現実は自分が招いているんだと
わかりました、と言うお声を
たくさんいただいています。
結局は自分。
そのことが自身の経験を通して、
深く腑に落ちたわけですね。
この感覚が身に付くと、
自身の現実のあらゆる出来事の中に、
気づきのヒントがちりばめられていて、
それを解いていく宝探しのような
楽しみが人生のそこかしこに
あることが見えてくるのです。
中には、イテテテテ。。。
というものもありますが、
それでも気づけた瞬間から
世界の見え方は変わっていきます。
本当に分かってしまうと、
言い訳が出来ないんですよね。
はい、恐れ入りました!
と言うしかない。
でも、だって、と言い訳や抵抗ができるのは、
まだ本当にちゃんと気付けてはいないのです。
気づいてしまうこと、受け入れてしまうことに
抵抗しているのでしょう。
そういう往生際の悪さ、頑固さが、
その人の現実のどこかに、
現れているはずです。
そしてそのことが、
現実をとても生き辛いものに
しているでしょう。
本当に目の前の現実が差し出す
メッセージを理解しないままに
頭だけで「結局は自分なんだ」と言って
自分に蓋をするように閉ざす方が
ありますが、それは逃避です。
その現実のどこがどのように自分
であるのかもわからずに、
気づきもないまま
「どうせ私が悪いって言うんでしょ!」
と言わんばかりにその言葉で
自分を閉ざしたとしても、
何も変わりはしません。
頭でわかったふりをするのではなく、
しかと、見ることです。
本当に見ることが出来たら、
気づきのスパークが起こります。
理屈抜きに、
メッセージとは何なのかがわかります。
そうなると、抵抗とか否定など
微塵も生じうる隙も無く、
深い理解と変容が起こっていくのです。
ピンポイントでこの深い気づきが
起こると良いのですが、
気づきの深さは人それぞれ、
そのときそのときで色々でしょう。
頭だけで理解しようとすると
気づきからは遠ざかります。
心と体を切り離さないで、
体の奥深く、ハートの奥から
ふっと湧き上がってくるものを
大事にしてください。
頑なになっている時、心も体も文字通り、
ぎゅっと力を入れて、何ものも
自分に入ってこないように
閉ざしていることがわかるでしょうか。
こういう状態だと、
エネルギーをかけていても、
ガツッと岩にでも当たったように
入っていかないし、
入ったとしても、ガガガガガッと
ものすごく引っかかって
流れにくい感触があります。
これ、頑固な人の特徴です。
人生が差し出している課題は、
まさにこの頑固な在り様を止めて、
違う世界の見方、価値観を
受け入れなさい、ということなんですね。
けれど、頑固な人にとっては
それは死ぬほど苦痛で、
最もやりたくない、嫌なことなのです。
こうして自分の人生と戦ってしまうと、
なかなかに苦痛の多い人生に
突っ込んでいくことになります。
この苦しい課題に直面して、
自分にはできない、と放棄してしまう
人もありますが、
確かにその人にとっては
できないと言う確かな感覚があり、
それに圧倒されているのだと思います。
けれども、本当はできなくはないんですね。
自分を放棄して閉ざしている状態だから
できないのであって、ちゃんと自分を
生きていればできるはずなのです。
できない、と言う前に、
そもそもやろうとしているのかどうか。
今はできていないけれど、
できるようになってやろう、
と思えていない時点で、
逃避しているのです。
最も見たくもない、味わいたくもないものに
対峙するのは、ひどく苦痛なことです。
それでも自分にとって
向き合うことの意義や必然性が
本当に身に迫っていなければ、
容易く逃げてしまうでしょう。
ここが踏ん張りどころ。
ほんの少しで良い。昨日よりも、
一歩踏みとどまれる自分であるように。
気概を持って、自分の命を振り絞れ!