最近は、そういう星回りでもあるのか、
未だ眠っている自分自身の可能性を
本気でたたき起こしたい!という
思いが強くなっていて、
今までよりも、一段、二段、三段
深いところにグググっと意識を
向けています。
日常の中で、ふとしたきっかけで
拾ったパズルのピースが、
自分の中の何かを起動させて、
そこから次々に連鎖的な流れが
起こっていきます。
そういう流れは、
起こるときは起こるけれど、
起こらないときはずっと起こらない。
まぁ、そういうものなんでしょうね。
けれど、
いったんそういう流れが始まると、
それが収束するまでは一気に
流れ続けます。
まだ見ぬその行方に、
微かな希望と期待を膨らませつつ、
目の前に展開する気付きを
追っています。
今の自分の意識が届いている
ぎりぎりのエッジの向こうに
触れていこうとするときには、
いつも何かしらの圧を感じます。
それを突破していくために、
様々なアプローチを試すわけですが、
その過程で、
まだ使えていなかったところに気付き、
その使い方や、それがそこに
そのように在る意義などへの理解が
直感的にやってきます。
過去に学んだ技法でも、
なぜそこでそんな動作が入るのか、
意味も分からず不思議に思いながらも
そういうものとしてやっていたことが、
あぁ、だからこの動作がここで必要なんだ
というのがわかって、であるならば、
その動作の段階でどいう状態を
作っておくべきなのかというのが
流れの中でわかってくるんですね。
それがわからずにただ型だけなぞって
そこそこうまくできていたとしても、
その技法で体現するはずの本当の姿は
現れないだろうし、
だからこそ、
なぜその技法をするのか、
その意図や使い方も、
わからないだろうと思います。
たとえるなら、
超古代の高度な文明によって作られた
何かの機械の部品を、後世の人が拾って
眺めて見ても、
それが何のために使うもので、
どういう働きをするものなのか
さっぱりわからず、
何の働きもせずにただ静かにそこにある
部品を飾って眺めるのみ、という様子に
近いかもしれません。
人間の体も、実はそんなオーパーツの塊
なのかもしれませんね。
今はまだ使えていない領域が使えるように
エネルギーボディの改造中なのですが、
エネルギーの使い方も、これから
随分変わっていくだろうなと思います。
そういう在り方は、
これまでの自分の在り様の延長線上
には無くて、やはりシフトが
起こっているのだろうと思います。
そんな力の使い方が、
10回に1回できる状態から、
10回やって10回、できるように。
そして常時いつでも力みなく
再現できる状態に。
本当に技法が自分のものになったとき、
技法を体現した自分という枠組みを超えて、
その状態がそこに出現した意味を、
宇宙を通して知ることになる。
そんな直感があります。
そして、その宇宙も探求すれば
更に無限の次元があり、
その深さに触れた分だけ、
その人のハートはそれらの宇宙を
宿すことになるでしょう。
それがどういう意味を持つかというと、
その人の存在そのものが宿す
バイブレーションが、非常に多次元的な、
奥深さを体現することになる
ということです。
そのことは同時に、
対峙する対象にそのレベルの
奥深いバイブレーションで共振し、
働きかけることもできるようになる
ということを意味します。
古今東西、宇宙を超えて、
人知れずそうした存在たちは
共鳴し合っていたのでしょうね。
そして、そのバイブレーションは、
あまりにも調子の外れた不調和な
バイブレーションを調整、中和する
働きもあったのでしょう。
自分自身の奥深い可能性を
探求することは、個を超えて、
とても深い意義を持っていると思います。