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さて。
「歴史は川の流れのように」とは、
近現代史研究家の林千勝氏の言葉ですが、
未来がどのようになっていくかを知るには、
過去の歴史を知ると、その先の
おおよその流れを知ることが出来ます。
これは様々なことに言えますが、
その人がどんな人なのかを知るには、
目先の振舞いや好みを知るのみならず、
生い立ちや過去の言動、さらには
先祖のツールなどを知ることです。
ぱっと見の外見だけ、ほんの一部を
切り取った部分を見るよりも、
ある一定期間、様々な側面を網羅して
知る方が、
よりその人のその姿、言動の動機までもを
深く知ることが出来るでしょう。
その姿形、言動の動機や背景を知れば、
次にその人が何を選び、どう行動するかが
予想できるようになってきます。
同様に、自分がどんな存在なのかを知るには、
毎瞬のこの自分を内観するのはもちろんですが、
自身のルーツを知るのは、とても有効だし
大切なことなのではないかと思います。
自分のその瞬間の選択に
どんな世界観が影響しているのか、
その世界観が形成された出来事に、
どんな感情が絡んでいるのか、
なぜ、そのような出来事を
経験するに至ったのか、
それに関係する人物の背景を辿っていくと、
一見、偶然のように見えたその出来事の
背後に、必然の糸が絡んでいる様子が
浮かび上がってくるのです。
そういうところを読み解かずに、
ものごとの極表面だけなぞって
判断すると、見誤ることが
あるように思います。
たとえば、家を建てようとする時に、
その土地の素性を調べますね。
大きく、その地域の地質や地形、
気候風土を知ることは必須でしょうし、
以前はどういう持ち主がどのように
使っていたのかも大事です。
昔は川や沼、あるいは墓地、
化学薬品を製造する工場の跡地だったとか、
雨の多い地域、地盤がもろくて崩れやすく、
しばしば崩落が起こるとか。
そういうことを全く知らずに
土地を買って家を建てたら、
どういうことになるでしょうか。
知ったうえでどう使うのが良いのか、
建物の強度や対策、使用方針が
検討できるわけです。
そういうことが自分自身にも言えて、
何が得意で何が好き、嫌いとか、
心にどんな傷があってどこがどのくらい
弱いとか強いとかばかりではなく、
自分のルーツを知ることで、
精神的にどんな土台を持っているのかを
知ることが出来ます。
このことは、特に日本人には
あまり知られていないというか、
意図的に隠され、断絶させられてきた
という側面もあるように思うのですが、
私たちの先祖が何を大切に思い、
守り伝えてきたのか、
どういうことを、どんな思いで
為してきたのかを知ることが、
今を生きる私たちにどれだけ力を与え、
生きる指針をもたらすのかを
考えたことがあるでしょうか。
そういうものに触れるときに、
もちろん色々気を付けなければ
いけない側面もあるにはあるのですが、
それを奪われた人は、
実際自分に誇りを持てず、
生きる力を奪われ、人生の意義も見失い、
骨抜きになっていきます。
気を付けなければいけないところというのは、
ある意図の下にある視点から切り取られた
歴史に触れる時、それをニュートラルに
受け取ることは、非常に困難である
ということがあります。
教科書の歴史を思えばわかりやすいと
思いますが、伝えるということには
伝える側の意図が必ず入り込むのです。
故意ではない場合もありますが、
ルーツを知ること、歴史を学ぶことは
人間形成に非常に大きな影響力を
持つが故に、
古今東西、支配者にとっては
最もエネルギーを注いできた
分野なのです。
神話を奪われた民族は
70年で滅ぶとも言われるそうですが、
それほどまでに重要なことで、
ルーツを忘れた人間は、
記憶喪失の夢遊病者のような
力のない根無し草になってしまいます。
よく、戦後の日本人は
スケールの小さい小粒な人物ばかりになった
と言う言を聞きますが、
それはなぜかというと、
広く歴史を学ぶことによって養われる
人間への深い洞察力を持った人物が
育たなくなっている、ということ
なのではないかな、と思っています。
だから、今だけ金だけ自分だけ
という薄っぺらい哲学のない価値観で
場当たり的な対応しかできない。
知性と教養というのは
学校の勉強のことばかりではなく、
人間への深い洞察が裏打ちされていることが
必須だと思います。
私自身、とても他人のことを言えるような
分際ではないのですが、
昨今の流行ものを見ていると、
なんだか薄っぺらいものが多いな~
と感じることが多かったので、
思うところ、書いてみた次第です。