心と体は一体で、
心が弱っていると体も元気なくなるし、
身体が不調だと心も曇りがち
になりますよね。
体を鍛えることは、
強い精神を支えるためにも、
大事なことだと思います。
かく言う私自身、
ロクに運動もしていないので、
反省しきりであります(^^;
以前はよくウォーキングをしていたのですが、
忙しくなってくるとなかなか出歩けず、
運動不足気味でした。
そこで、最近はオンラインでできる
エクササイズのクラスを受講しているのですが、
わざわざ教室まで行かなくても、
夜、自分のタイミングでできるので
重宝しております。
ぷよぷよ二の腕とか太ももとか、
多少締まってきて嬉しい💛(^^)
まぁ、それはさておき。
身体が病気とか怪我とかで
ダメージを受けている時って、
エネルギーフィールドもやはり
乱れてますね。
そこからよからぬ者の干渉を受けたり、
人の思念を拾ってしまって引きずられたり
ということもあるので、
体が弱っている時に、
エネルギーフィールドをイメージで
しっかり整えてあげるようにするのも、
エネルギーの伝授とか受けていない人でも
有効ではないかと思います。
エネルギー持っている人は、
なおのこと、ぜひ使ってみてください。
エネルギーをかけても、
悪化するときはしてしまうけれど、
やらないよりはやった方が、
治りが早かったり程度が軽く済む
と思います。
生きていれば、誰だって
いつでも最高のコンディション
というわけには行かないし、
いつでも心が満たされていて
安心で晴れやかというわけにも
行きません。
ただ、心も体も調子が落ちてきたときに
どう過ごすのか、ということ
なんだと思います。
長く感情解放ワークを通じて
自分に向き合ってきて、
抑圧された感情のエネルギーの
チャージが大分少なくなってくると、
落ち込んだとしても、
以前ほどドツボにはまるということは
なくなっています。
あと、干渉してくる
ダークサイドの手口もわかっているので、
そこに乗らないというのも
あるのかもしれません。
そして何より、内なる神を知って、
いつでも帰るところがわかっている
ということが大きいかな、と思います。
内なる神に出会う前と後とでは、
人生が全く違ったものに
なっているな、と感じます。
出会っていなかった頃、
一体私はどうやって生きてきたのか。
本当に心細い思いと絶望感を抱えながら、
日々生きていましたね。
セッションでも、タイミングが来ているな、
と感じたクライアントさんには、
内なる神に触れて行く誘導をして、
これまで何人もの方が神に触れられましたが、
その出会いをその方自身が、
以後、どこまで深められるかは、
その方次第です。
私の場合は、深く目覚めた意識のマスター
レナードジェイコブソンに導かれて
初めて神に触れてからも、
それだけで人生の全ての問題や
苦悩が去ったわけではありませんでした。
それからも、たくさんの葛藤があったし、
絶望もあったし、未だに抱えているものも
あります。
けれど、その深い絶望の歩みの中でも、
ずっと恩寵に導かれ続けてきた
と感じるような確かな実感を伴った
体験があるので、疑うことはないし、
かつてのように、暗闇の中を
迷子になって心細い思いをする
ということもあまりなくなった
ように思います。
何か素晴らしい霊的な体験をすると、
それですべて問題は解決して
以後苦しみはなくなるのだと
思っている人は多いのかもしれませんが、
そんなことはないですね。
ただ、それまでとは、
体験の仕方が確実に変わる
ということは言えるでしょう。
今の自分がそれをどう受け取り、
応答していくのか。
シンプルに、その連続なんだと思います。
その段階段階での気づきがあり、
受け取り方があり、開示されるものがあり、
変容していくものがあります。
今の自分の段階をジャッジメントすることなく、
ただ真摯に問い、求め、歩み続けて行く
だけではないでしょうか。
自分の歩みは自分次第。
だからこそ、理想とは違う
自分の姿を嫌というほど見るけれど、
それをどう受け取るかが、
ある意味、歩みの精華なのだと思います。