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さて。
達人レベルの行者さんなどは、
天候を変えたり、凡人には奇跡としか
思えないような不思議なことを
やすやすとやってのける、
と言われます。
それも、天地の理に通じればこそ
為せる業なのだと思うのですが、
ふと、それは本当に自分自身に
繋がることで、繋がっていない
人からすると、奇跡のようなことが
わかってしまう、できてしまうのと
同じようなことなのかな、
と思ったりしました。
私たちは、本当は感じていたり
受け取っている膨大な情報が
毎瞬あるわけですが、
実際に認識しているのは
ほんの一部にすぎません。
けれど、その無意識領域に
アクセスできる人からしたら、
そこに在る情報を知ることは
奇跡でも何でもなく、
出来て当たり前のことになります。
魂の奥深くに眠る
今生とは違う人生の記憶とか、
ある場面での、相手の気持ちや感情を知る
といったことも、本当はできて当たり前
のことなのです。
けれども、あまりにも深く自分を閉ざし、
分断してきた状態で長いこと生きていると、
今の自分の気持ちや思いを知ることすら
ままならないのに、そんなことがわかるのは
まるで魔法のように思えてしまいます。
自分の中で分離、隔絶してしまった
自分の一部を取り戻すほどに、
あぁそうだった、あの時私は
こんな風に感じて、こう思っていたんだ、
という失われた自分の真実を
取り戻していくわけですが、
それは、個の私たちと宇宙とのつながりを
取り戻していくプロセスにも繋がる
ことなのかもしれない、
と思ったのです。
実際、自分の内側を深く探求していくと、
自分を越えたより大きなもの、
サムシンググレートと言っていいような
ものの片鱗に触れるような体験が
やってきたりしますし、
そういう感覚が段々開けてきた
ところでこの世界を見てみれば、
自分の外側と見えていたものが、
一続きの自分で在ったというような
感覚になっていったりもします。
世界は、それを見る人が
どのような意識の状態から見ているのか
によって、受け取る真実は
違ってきます。
だから、
それぞれの人がそれぞれ言う世界の
どれが間違っていて、どれが正解だと
一概に言えるものではないのだろうと
思うのです。
一つの理論で最終的に完全な結論が
出せるようなものではなく、
それぞれの視点から見えた世界の法則、
状態からアプローチをスタートしていくのが
筋なんじゃないでしょうか。
一足飛びに違う視点からの真実を提示して
意識のシフトを図るというのもアリ
だと思いますが、
それが成功するか否かは、
やはり受け取る人の意識状態が、
そのシフトを受け入れられる段階に
あるのかどうかが左右するでしょう。
受け入れる段階に来ていなければ、
どんなに提示されたことが真実で
ある人にとっては非常に有効だとしても、
その人には何の意味も成しません。
インドの聖者ラマナ・マハルシが
私にとってはそうだ。
けれど、あなたにとってはどうだろう?
と言うように、
それを真実として生きていない者にとっては、
いかに素晴らしい概念であったとしても、
それは借りてきた空虚な張りぼてなのです。
今の自分が、
本当にその真実を生きているのか、
借りてきた概念を誇らしげに語って
自分もそのようになったつもり
でいるだけなのか、
自分でわかっているようで
なくてはいけません。
よくわからない概念を妄信的に
無理やり自分に押し込むのではなく、
それをヒントとして、受け取った時の
自分の心身の反応を見ながら、
自分の中で新たなインスピレーションや
良い化学反応を生んでいるのかどうか、
よく吟味することです。
そうしていく中で、やがてそのヒントが
有機的に自身の血肉となって
生きてくるということがあるでしょう。
何にせよ、あなたの体験していることが
あなたの人生における真実です。
その体験の仕方を大きく変えて行くにせよ、
スタートは常に今この瞬間の自分から
なのです。