人づき合いが苦手で、
どうも浅い人間関係しか築けないとか、
過去に色々あって以来、凝りてしまって
あまり深く人と関わらないようにしている
という方のお話を良く聞きます。
私自身、若い頃はやはり
人とどう接していいかわからなくて、
今思えば恥ずかしいくらいの
トンチンカンな態度を取っていたな
と思います。
(今でもそんなところは
あるかもしれませんが)
そんな私が今みたいに
人の心の深いところに触れるような
仕事をしているというのも、
どういう因果の導きだったのか、
人生、何が起こるかわかりませんね。
人づき合いが苦手な状態から
どうやって今のようになれたのか、
転機になったのは、自分自身の感情に
徹底的に向き合った時期があったから
だと思います。
自分の心の最も奥深く、
最も闇深いところ、痛みのうずくところに
深く深く意識を向けて、受け止め、
統合していくということを
やり続けていました。
それがあったから、
他者の中に見る様々な感情に触れても
動じなくなりましたし、人の心が
いかにして鎧を重ね、抑圧し、
分離していくのかという構造も
わかるようになりました。
自分の中で、きちんと向き合えていない
ものがあるとき、他者の中にそれを見ると、
どうしても逃げてしまって、
向き合い切れないんですね。
また、統合できていない未完了の感情は、
それ自体が地雷のように、ちょっとした
刺激がトリガーになって、しょっちゅう
あちこちで噴火します。
とても心安らかにいられないですよね。
だから、私たちは自分の感覚を
麻痺させたり蓋をしたりして、
何でもない風を装って
日々を生きているのです。
誰しも、多かれ少なかれ
生きてきた環境の中で出来てしまった
心の傷はあります。
そういうものがあると、
その傷をかばって自分を制限してしまったり、
どうしても選べない選択ができて
可能性が狭まったりして、
存分に人生を生きられなくなってしまいます。
だから、人生のできるだけ早い内に
そういうものは癒しておいた方が、
のびのび自分を表現して生きる時間は
長く確保できますね。
もちろん、
その人その人でタイミングはあるし、
ある程度の経験を重ねたからこそ
受け止められる傷というものも
あるでしょう。
いずれにせよ、
傷ついたから一生それを抱えて
生きて行かなければならない
というわけではなく、
癒していく道はあるのだし、
本当にそれを昇華できたのなら、
その体験はかけがえのない
人生の宝となります。
傷による制限がかかった状態で
満足ならそれも良いかもしれませんが、
生き辛かったり窮屈だったりするなら、
本当はもっと表現したい自分の可能性が
うずいているのでしょうね。
人と深く触れあうことが苦手な人は、
まずは外側の人よりも、
自分自身とのかかわり方を
見直すことが肝要です。
自分の気持ちを握りつぶしながら、
人に対して良い顔をしようとか
合わせようとするから
自分を見失うのです。
周囲の人たちは、
自分が自身に接するように、
あなたに接するという法則があるので、
あなたが自分自身に対して
ぞんざいな扱いをしていれば、
周囲があなたをそのように扱うでしょう。
互いに心地良く、安心できる
信頼関係を築くには、
自分の自身に対する態度を
愛と思いやりのあるものに改めることが
必須です。
ということは、
かつてとても辛かった時に
置き去りにしてきた気持ちも、
ちゃんとお迎えに行って、
抱きしめてあげる必要がありますよね。
こういうことができるように
なっていくと、あなたの生きる現実は、
とても温かく、優しいものに
なっていくでしょう。
どんなときも、自分を見捨てず、
自分自身の味方になってあげてくださいね。