セッションなど、人と相対する時、
その方の色々な所作や姿勢など
様々なところを見ますが、
中でも、私は結構呼吸に
意識が向くことが多いです。
呼吸が浅いと必然的に
声の響きも浅くなるわけですが、
呼吸というのはその人の
在り様と密接な関係があります。
浅い呼吸をしているということは、
その呼吸の深さまでしか
その人自身のポテンシャルを
使えていないという風にも
言えると思います。
浅い呼吸は、
単に緊張しているというのみならず、
意識も、体も、どこかブロックされて
固まっているような状態で、
その結果として呼吸が浅くなるわけです。
これまで見てきた方たちの中で、
呼吸が浅いにもかかわらず、
深いレベルまで意識が届いていて、
身体としっかりつながれている人は
見たことがありません。
表面的にはわずかしか
身体的な変化が見られないのに
実は別の領域でものすごく
深く大きなエネルギーと繋がっている
ような状態もありますが、
そういう特殊なケースを除いて、
やはり呼吸はその人の在り様そのもの
と言えるだろうと思います。
ワークで内面的な傷が癒えて、
硬直が解かれると、実際に肉体も
ふっと緩むことがありますが、
それと同時に呼吸もより深くなり、
声の響きも澄んで通る声に
なったりします。
固い信念でガチガチになっていると、
自己表現をつかさどるチャクラのある
喉の辺りも、エネルギー的に見ると
固く締まったようになるのですが、
固い信念は一見、力強く見えるようで、
外側ばかりがガチガチで、芯というか
軸に迷いや自信のなさが見えて、
脆い印象があります。
その脆さや弱さを無意識にも補うため、
より強い信念が必要なのでしょうね。
一方で、ハートをしっかり使えて
自身の確かな実感に基づく安心感や
信頼の感覚から自己表現ができると、
信念で固めた表現よりも、
穏やかで柔軟性があるのに、
はるかに深く、のびやかな力強さを
感じさせます。
表面的で浅く、柔軟性のない力強さ
とは違った懐深さがありますね。
その懐深い感じがどこからくるのか
といえば、その人がどこまで
自分自身を知り、受け入れ、
あらゆる側面を排除せずに
自分自身を全体として生きているか
というところから来ています。
その在り様は、
その人がそれまでどれだけ自身に
正直に、誠実に向き合ってきたか、
というその歩みの結果なのです。
受け入れられない自分の側面があるほどに、
私たちはその部分を切り離し、
きれいに見える部分だけで自分を
生きようとします。
けれど、そのやり方では
このように懐深い在り方には
どうやってもなれないのです。
どんなに素晴らしい教えを学んで
自分に取り入れても、
本当にその教えの本質が
自身の血肉となって体現されていなければ、
信念のレベルで表面的に自分を鎧うだけで
害にすらなり得ます。
予定調和の結論ありきの型に
自分をはめ込むのが教えの良い生徒
なのではなく、
もっとも受け入れ難く、
暗いところに閉じ込めた自分を
排除することなく、それも丸ごと生きて
それでも道を外すことがない
在り様を体現することが出来て初めて、
教えを体得したと言えるのだと思います。
自分の中の暗い側面を恐れている内は、
どうやってもそれに影響され、
自ら制限をかける在り方に
なってしまうでしょう。
ワークでは、その最も暗い側面に
向き合っていくわけですが、
呼吸をとても重視します、
分離・隔離していたそういう側面に
触れて行くときに、呼吸で
その領域にしっかりとエネルギーが
通るようにするとこで、ある意味、
道を拓いているのですね。
自分を丸ごと生きるようになるほど、
呼吸は自然と深くなっていきます。
不自然に自分を分離させ、
固め、一部分だけを見せようと
構えることもなく、
自然体でただリラックスして在るだけで、
その人本来の魅力が滲み出て、
良いエネルギーの循環が起こるのです。
自身のあらゆる側面を赦し、
リラックスして深い呼吸を
していましょう。