家族関係の学びって、
なかなかに苦しくて、奥深いものが
あることが多いですね。
毒親とか言うワードを
あちこちで見かけるようになったのも
比較的最近のような気がするのですが、
そういう言葉が一般的(?)になるよりも
はるか以前から、トンデモな親御さんや
荒れる子供さんたちの問題は
その時代時代を色濃く反映しながら
社会問題として存在していましたね。
心理学的、スピリチュアル的な読み方は
色々あるのだろうけれど、そのどれかが
正解でどれが間違っているというもの
ではなく、
どう読んでも、それはその関係性の
ある一面を表しているのだと
思います。
私のサロンにも様々な親子関係で
悩まれる方がお見えになりますが、
基本的には、私は
厳しい家族関係には、その方の魂が
今生で最もクリアしたい課題が
設定されているのだと考えています。
なぜなら、親子はどうやっても
他人にはなれないから。
死ぬまで、この人から生まれてきた、
この子供の親であるというのは
消すことも変えることもできない
事実だからです。
職場の人間関係や夫婦関係だったら
いくらでも解消できますが、
どうやってもついて回る関係性に、
今生、絶対に逃げたくない、
絶対に達成したい何かしらの
テーマを設定してきているのです。
そして、そういうテーマは大抵、
魂に刻まれた別の人生(いわゆる過去世)
でも、何度もトライしては挫折してきた
すごく苦手とするテーマだったりします。
だから、今度こそ逃げないように、
過去の分のツケもきっちり清算
できるように、ものすごい決意をもって
その家族に生まれてくるのだと思います。
そうまでしてクリアしたかった課題というのは、
その人のものすごく歪んだ状態で
癖づいてしまっているものの見方であるとか、
深く刻み込まれて、ちょっとやそっとじゃ
消せない強烈な感情の刻印だったりします。
とにかく、それに触れるのも
すごく苦手で徹底的に逃げまくるし、
逃げていることにも気づかないままに、
その痛みを何とか収めるために構築した
防御の鎧やら煙幕やらの自動点火装置などが
核心の方向に近づくと、
わんさか発動してかく乱してきます。
これが、統合を難しくしている
要因なんですね。
特に、長年に渡って固定化されている
歪んだものの見方をいかに転換していくかが
大きなカギになってくるのですが、
そういう見方をしている本人にも、
そのように見てしまう事情があるし、
その奥に絡みついている、
膨大な痛みの感情のチャージがあるわけです。
どれだけ頭でこれらを納得させ、
大人の対応で収めていても、
感情はそれでは収まりはつきません。
感じないようにしていても、
それは無くなったわけではなく、
ただ麻痺させて、重たい蓋をして
奥深くに沈めているだけなので、
決して癒えているわけではありません。
麻痺し、重たい蓋の分だけ、
心のその領域は不自然に歪み、
感覚が欠損しているのです。
これが、何かしらの心の機能不全、
生き辛さに繋がっていきます。
これを本来の状態に戻そうと思うなら、
まずは麻痺と蓋を解いて、抑圧された
膨大な痛みの感情に対処して
いかねばなりません。
そして、それと同時進行して、
歪んだものの見方とは全く別の視点から
見えてくる景色を見て、気づくことです。
これは、別の価値観で上書きする
ということではなく、文字通り
気づきによって書き替わるのです。
別の視点を得るのを邪魔するのが
その人の中で強固に組み上げられた
その人自身の正当性に立脚した
価値観だったりするので、
ここが転換されるのは、
同時に、その正当性をも失うことになるため、
激しい抵抗に遭うこともしばしばです。
このように、
魂の設定した課題をクリアしていくには
数々の関門がありますが、根気強く、
覚悟を持って臨むことです。
本当に学びを受け取った暁には、
あの地獄の日々は、ただ愛であったと
心底理解するでしょう。
それは、人間目線の常識や
世間体といった枠組みでは
到底達することのできない、
深い深い魂の愛なのです。