人間、ケジメをつけるというのは
とても大切なことで、
それが出来ないことで、
人生に色々な支障をきたしている
場面をしばしば見かけます。
セッションでも、たとえば、
ちゃんとお別れが言えなかった
が故に気持ちが中途半端になり、
大きな心の置忘れが起こっていたり、
周囲の人にも、
途中で放り出した形になって、
色々と迷惑をかけていたり、
良いことはありません。
本人はちゃんと
ケジメをつけたかったけれど、
状況的にそれが叶わなかった
ということもあるので、
一概には言えませんが、
意図的に放り出す人は、
社会的にも信用もされないし、
逃避を繰り返す傾向が
強いのではないかな、
と思います。
昔、家族ぐるみで付き合いがあり、
大変お世話になったおじさんが
いました。
その方は、九州の方では
財閥とも言えるくらい、
大きな家の方でしたが、
若い頃の話を色々聞くと、
何か事業をやりたかったときに、
叔母さんだったか、親戚の方に
お金を借りに行くと、
お前は始末がしっかりできるから
貸してやってもいい、と
気持ち良くお金を貸してもらえた
そうです。
一方で、その方には兄弟も多く、
上の兄弟の誰かは始末が出来ないことで
有名で、あいつには金は貸せない、
と言われたそうです。
お金関係は特にそうですが、
人間関係にせよ仕事にせよ、
多分これはその人自身の在り様の
問題なので、一事が万事、
繋がっているでしょう。
始末が出来ず、ケジメがつけられないと、
ものごとが完了せずに、もう終わりに
しても良いはずのことをずるずると
引きずり、次のタームに入っていくことが
できません。
ケジメが付けられない人は、
そうして中途半端に残してきたものが
心の中にあれこれあるので、
それらが終われないまま、
心のバックグラウンドでじわじわと
エネルギーを消費していくのです。
わかりやすい例で言うと、
若い頃に好きだった人に
思いを伝えることもできないまま、
その人とのご縁が切れてしまった
ような場合。
ことあるごとにその人のことを
思い出し、悶々とする、
というようなことが
あったりしますね。
甘酸っぱい青春の思い出、みたいな
人生の記念の1ページになれば、
まだそれも良い思い出なのかも
しれませんが、
中途半端にしてしまった自分と、
勇気を出して思いを伝えられた自分
とでは、結果はどうであれ、
その後の気持ちも随分と違うのでは
ないでしょうか。
ケジメをつけるというのは、
相手への責任という意味もありますが、
自分自身の人生への責任
でもあるのです。
始末がきちんとできない自分に、
誇りが持てるでしょうか。
いつも逃げて、責任を取れない自分が
どこか後ろめたく、自信を持てない
のではないでしょうか。
人間、責任を取れるようになって一人前。
それができないのは、何歳であっても
半人前なのです。
ケジメをつけるときに、
相手があるときは、
相手にとっても、ちゃんとそれが
ケジメになるような形にしてあげるのが
良いでしょう。
自分の中だけで勝手にケジメをつけた
つもりになって、何も言わずに去るとか、
連絡もしなくなるというのは、
非常に酷で罪深い態度だと思います。
まぁ、相手や状況にもよる
かもしれませんけれどね。
セッションでも、しばしば
そういう場面を見かけるので、
心当たりがある方で現在進行形の方は、
ぜひきっちりとケジメをつけてください。
そして、
遠い過去になってしまっている人は、
イメージワークでも良いので、
ちゃんと相手に向き合ってあげてください。
相手に向き合えないというのは、
自分にも向き合えていないのでしょうね。
相手の前に立った時に、
そこには、自分自身の姿が鏡のように
映し出されます。
その自身の姿に対峙するのが
耐えられないのでしょう。
相手から逃げないという前に、
まずは自分自身から逃げない
自分であるように。
節目節目を大切に、
ケジメをしっかりつけて、
力強く、新しい歩みを始めましょう。