昨日に引き続き、
断捨離関連のお話ですが、
どうしても書いておきたいな、
と感じたので綴ってみます。
昨日は執着一杯のお話でしたが、
今日は、とても幸せを感じた
お話です。
物はただの物ではなく、
それを見たときの記憶を
呼び覚ましますね。
特に、古い写真や手紙など、
一瞬で当時の記憶が蘇ってきます。
今回出てきたのは、
机の引き出しの奥で何十年も
眠っていた小箱です。
この中には、
小学生の時にクラスメートから
もらったシールや、
中高生の時の親友からもらった
絵葉書や手紙の類が入っていました。
シールはまだ使えそうだったので、
別のところに移して、手紙類に
目を通してみると、
それをもらった時には受け取れなかった、
あるいは気づけなかった
送り主の思いに触れて、
数十年の時を経て、
ようやく彼女の気持ちを
受け取れたように感じました。
彼女との間には様々なことがありました。
彼女は早熟で、
勝ち気で、喧嘩早いところがあって、
中学に入って最初に会った時の印象は
最悪でした。笑
こんなに嫌な奴がいるのか、
絶対関わりたくないと思ったのに、
どういうわけか、気が付いたら
いつの間にかすごく仲良くなっていて、
中学、高校を卒業して
彼女は付属の短大に、私は外部の
大学に進学して、
彼女は結婚が早かったので、
私が就職した年には、多分最初の子が
生まれていたように記憶しています。
それからすぐに二人目の子が生まれて、
その子の疳の虫がひどくて、
私の母に虫封じをしてもらいに
押しかけて来たのが、まさに彼女でした。
そのころ私は心身を壊して
絶賛1回目の引きこもり中だったので、
彼女のいつもの強引な進め方が
結構きつかったのですが、
私の状況など何も知らず、お構いもなく
ずけずけ入ってくる彼女に辟易しながらも、
実はそれで図らずも命を繋がれた
ところもあったのでした。
それからしばらく交流はあったものの、
あるとき、あんまりじゃない?
という出来事があって、以来、
付き合いは途絶えてしまいました。
もう何年も彼女のことは思い出すことも
なかったし、思い出しても良い感じは
なかったのですが、
数十年かぶりに
彼女から折々に送られてきた
手紙類を見て、彼女はずっと私を大切に
思ってくれていたんだな、
というのがわかりました。
紅葉の京都から、厳冬のミラノから、
広島、シンガポールから。
彼女の綴る言葉は、当時の私には
感性が合わなくて読み取れなかったけれど、
今改めて読み返すと、彼女なりに
その土地土地で、様々に感じたものを
素直に、みずみずしい感性で
綴っていました。
人生って、こんなに楽しいよ、
あなたももっと、色々なところに
出かけて行って、様々な体験を
してごらんよ。
内に引きこもりがちで、
昔から人生を楽しむことが下手な私に
そんな風に呼びかけていたようにも
感じます。
そう言えば、
彼女はいつも、楽しいよ、
これ、面白いんだよ。
と目をキラキラさせて笑っていたのが
思い出されます。
彼女も彼女なりに、
とても辛かった時期があったけれど、
私はあまりにも未熟過ぎて、
そんな彼女にうまく寄り添えて
いなかったなぁと、今にして思います。
多分、もう会うこともないのかも
しれないけれど、どこかで
元気に暮らしていてくれればいいな、
と願っています。
日常のふとした時に、旅先で、
自分のことを思い出してくれる
人がいる、というのは、
幸せなことですね。
その人の中に、自分が生きている
ということだから。
たくさんの手紙の中に、
自分が愛されてきた証を見つけて、
なんだかとても、心が愛に満たされました。
自分がどんな人たちと出会い、
どんな風にかかわってきたのか。
楽しく甘い思い出も、
苦く辛い思い出も、
時を経て、その意味合いが随分と
違って感じられることがあります。
起こってしまった過去は変えられない
けれど、その意味合いは、
いかようにも変化していきます。
苦しい思い出も、
味わい深く感じられるくらいに
自分自身を磨き、昇華させていくことで、
ヘドロでしかなかったものの中に、
美しい光があることに気づきます。
最初から、良い出来事、悪い出来事
が決まっているわけではないんですね。
人生の神秘の魔法が、
あなたの人生を美しく変容
させていきますように。
あなたの歩みに、祝福を。