すぐに人に影響されてフラフラ
してしまったり、
常に誰かに寄りかかっていないと
自分を支えられなかったり、
何となく周囲に合わせて
浮かないように、流されて
生きているけれど、
本当のところ、自分は何を感じ、
何をしたいのかさっぱり
わからなかったり。
自分軸が無いなぁと感じて、
自分軸が欲しい!と思っている人は
結構いらっしゃるのではないでしょうか。
でも、自分軸ってどうしたら
持てるのか、案外わかっていない。
何かを勉強して、身に着けたら
自信がついて、それが自分軸
になるのかと言ったら、
必ずしもそうではないし、
何かの教えに沿って、
強い信念をもって生きていたら、
自分軸を持っているのかと言うと、
実はそうでもなかったりします。
巷では、そんな人は
一見、自分軸があるように
見られると思いますが、
どんなに信念を持っていようと、
何かの能力が高くても、
ではその自分を支えている信念や
能力が崩れて無くなってしまったら、
その自分軸はまだ健在でしょうか?
以前にも書きましたが、
信念はマインドの領域のものです。
たとえば、
素晴らしい教えに出合ったとして、
最初はものすごくのめり込んで
信じていたとします。
けれども、あるとき
その教えを伝えている人が
とんでもない人だったとしったり、
その教えに不信感を抱いたりしたら、
その人は支えを失ってしまうでしょう。
あるいは、
素晴らしい能力も、何か事故などで
それが失われてしまったら、
やはり自分軸も喪失してしまう
のではないでしょうか。
でも、どちらの状態になっても、
自分はまだ生き続けています。
無くなってはいません。
それまで軸とか支えだと思っていたものを
失っただけで、絶望していても、
輝かしい自分でなくても、
あなたの歩みはまだ続いていて、
何かしらの力があなたの命を支え、
運んでいるのです。
本当の自分軸は、
そうした力の領域によるもの
であるはずではないでしょうか。
では、どうしたら
そういう領域の自分軸を
持てるようになるのでしょうか。
まずは、
自分自身の人生を生きること
が一番です。
そのためには、自分が今、
何を感じ、何を思っているのかに
気づいていることがとても
大事です。
何を好み、何を嫌っているのか、
心地良いものは何で、
良くないものは何なのか。
自分軸が無い人は、
例外なくその感覚がとても鈍く、
あるいは混乱しています。
誰かの基準に沿うように生きていて、
自分の基準となるような感覚が
閉ざされているんですね。
そうなると、
自分の奥深いところにある
自分の人生を導く羅針盤が
うまく機能しなくなり、
自分がどう生きたらいいのか
わからないので、他者の基準に
依存するようになるんですね。
何が正しいのか教えてほしい、と、
自分で与えられた情報を吟味
することもしないで(できずに)
丸呑みして、それを自分の基準
にしてしまうのです。
実際、それが本当に自分にとっての
正解なのか、自分の人生に
合っているものなのかは
全く考慮されることがありません。
周りのみんなと同じで
浮いていなければいいとか、
ご近所さんに何か言われなければいい、
親や親せきに恥ずかしくなければ、とか
とにかく人目を気にしすぎる人は、
間違いなくそういうところが
あると思います。
でも、そうやって生きてきて、
それは本当にあなた自身の人生だと
言えるでしょうか?
人に迷惑をかけても
我儘に生きろ、と言っている
わけではありません。
けれども、
口やかましく他人の人生に介入してくる
人たちは、決してあなたの人生の
責任を取ってはくれないのです。
責任のない人たちが言うことを
鵜呑みにして行動した結果が
とんでもないことになったとしても、
その結果をあなた自身が
免れる術はありません。
だとしたら、
自分の責任において、
自分で決めて、行動することにのみ、
あなたは本当に納得して
結果を引き受けられるでしょう。
そのように在るとき、
あなたは必然的に、自分の人生
そのものと対話するようになります。
持てる能力の全てを研ぎ澄ませて、
何が本当のことなのか、
自分の人生を預けるに値する
選択は何か、と問い続けるでしょう。
自分と、自分の人生を導くものとの
一対一の対話。
これこそが本当の意味での自分軸
なのだと思います。
そこに、何者をも介在させては
なりません。
その純粋な対話こそ、
あなたを唯一無二の人生に
導くでしょう。